日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課at ARMY
日中戦争(支那事変)10 参謀本部第二部支那課 - 暇つぶし2ch117:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/08/23 01:56:29 nn6y1jur
>>116 さん
南方作戦の証言は、も、食料や水の話ばかりで、なんというか
「サヴァイヴァル虎の巻」を読んでいるような。
御蔭で自販機が何処にでもある現在の天国ぶりが身にしみましてです。
で、日中戦争の証言は「往けども往けども・・」と、
板住人が本当に知りたい「日本の実戦ケース」がテンコ盛り。
また南方に目を転じれば陸さんと海さんの生活習慣の違いが浮き彫りで。
食い物の恨みといえば「坂井さん」らしいですけど、
あの方はもっと信頼されてもいいと思うのですが・・とスレ違いな。
イナ様のスレは政治外交の裏まで触れていてとても楽しいですね。
蒋介石総統の第1夫人の話とかは既出でしたでしょうか。。と話を振って〆^^
m()m

118:名無し三等兵
07/08/23 03:23:06
長沙作戦 光人社NF文庫
緒戦の栄光に隠された敗北
URLリンク(www.bk1.jp)

昔の単行本の再販だけど良い本が出たよ。誰も張ってないから貼る。
中味は感傷的ではなく分析系だったね。士官ならこうでないと。
だつお的にはこの作戦はどうなの?

119:名無し三等兵
07/08/23 03:27:49
前スレチェック。
この作者防大教授になったのね。なら納得。

絶版本は入手が面倒だから再販してくれると嬉しいね。
華中作戦も出してくれる事を期待。

120:名無し三等兵
07/08/23 11:33:28 TBsOuH51
ラモウ・トウエツ・リュウレイぐらいか?

121:名無し三等兵
07/08/23 16:50:43
1、重慶侵攻作戦=1943年9月開始。目標は重慶の制圧(1944年4月までに制圧できない場合は打通作戦に影響が出るので作戦中止)投入兵力45万
2、大陸打通作戦=1944年4月開始。目標は米陸軍航空隊の基地破壊。投入兵力51万
3、西安・延安侵攻作戦=1945年6月開始。目標は西安の国民党と延安の共産党軍の撃滅と基地の破壊。
作戦終了後、西安・延安共に撤退。また老河口より西の米陸軍航空隊の基地も合せて破壊。投入兵力は40万


以上の三大作戦を断続的にやればかなりの消耗を相手に強いる事はできたであろう。
後はドラキュラ作戦のウェデマイヤー軍を広州で迎え撃って終戦と。

122:名無し三等兵
07/08/23 17:00:54
そんなの関係ねえ!
そんなの関係ねえ!

  (Д´)/^丶 ))
  r  ィ| |〃ザブ
 〇ー\__(、、、jザブ
   /\。゚\。゚。゚。
「|~~~~~~~~「|
|| と_」  と_) ||
| L_______」|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

晋三ー!熱湯ー!!
         /
 キョトン…(  ゚) /
    r  丶
    ||__||
    U丶_丿j
    | | |
「|~~~~~~~~「|
||   (_⊃⊃  ||
| L_______」|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


123:名無し三等兵
07/08/23 17:03:40
ウェデマイヤーが1945年9月に実行しようとした作戦は、ドラキュラとは別の
作戦名だったかもしれない。ちょっと忘れた。
その作戦はどういう規模のものだったのだろうか?

124:名無し三等兵
07/08/23 23:04:09
北支や満洲近辺の麻薬関係だと馬賊とかが十分絡んでくると思うのですが、その辺りはどうなんでしょう。
佐野眞一氏の「阿片王 満州の夜と霧」では小日向白朗などについての言及もあると聞きますが。
(実は自分は未読だったりする)

125:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/23 23:07:40 0SqXhaSU
>>115 >>ちょっとした戦いで「遺棄死体3万以上、他行方不明多数と推定」が
>>バカスカ出現するそれが日中戦争。でも敵の数は全然減らない・・・・これが
>>人海戦術の真髄か。

過去スレでも述べましたが、日本軍が戦果として主張する『遺棄死体数』は、
自軍の損害に『一定の係数』をかけて算出したりしたする場合も多いですから
鵜呑みは禁物です。要するに昔の合戦じゃあるまいし、いちいち「死体のボディ
カウント」なんてやってる時間はありませんし、前の人が数えた死体を後ろの人が
重複して数える「ダブルカウント」「トリプルカウント」なんて当たり前でしょう。

ちなみに日本海軍が「台湾沖航空戦」で大本営発表した数字は以下の通りw。

●轟撃沈:航空母艦11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、巡洋艦もしくは駆逐艦1隻
●撃破:航空母艦8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、巡洋艦もしくは駆逐艦1隻、艦種不詳13隻
●撃墜:112機(基地における撃墜を含めず)

まあ、正確な戦果を把握するのは想像以上に難しいということです。

126:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/23 23:22:38 0SqXhaSU
>>119 >>絶版本は入手が面倒だから再販してくれると嬉しいね。
>>華中作戦も出してくれる事を期待。

実は『長沙作戦』の方が『華中作戦』より面白かったり。『長沙』は阿南批判というか
切り口(テーマ)がはっきりしているので、一冊の本としてストーリの起承転結がついて
います。『華中』も非常に参考になるのですが、ちょっと平々凡々な戦記という気がします。
つーか、佐々木春隆の著作は全部文庫本にして再販しろw。

>>123 >>ウェデマイヤーが1945年9月に実行しようとした作戦は、ドラキュラとは別の
>>作戦名だったかもしれない。ちょっと忘れた。

「カーボナード(黒ダイヤ)作戦」のことを指すのであれば、過去スレ6を参照のこと。

>>116 >>ニューギニアに行った部隊の方たちは、ほとんどが食い物と病気のハナシw

支那戦線に「飢え」が無かった訳ではありませんが、南方戦線に比べればやはり天国ですw。

127:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/23 23:50:03 0SqXhaSU
>>117 >>蒋介石総統の第1夫人の話とかは既出でしたでしょうか。。と話を振って〆^^

蒋介石は「宋美齢」の以前に、「毛福梅」「姚冶誠」「陳潔如」の順番で、都合4回
結婚しています。毛福梅と結婚したのは1901年、まだ蒋介石が満14歳になって
いないときです(毛は19歳前後)。言うまでもなく、蒋経国の生母でもあります。

蒋介石は「毛福梅」との結婚生活について、青少年の思い出をまとめた1927年の
日記帳に、●「ああ、余の逆境ここより始まる。これ中国早婚の悪しき結果なり」と
散々な書きようです。結局、蒋介石は母親が亡くなる1921年まで待って正式に
「毛福梅」と離婚しています。

ちなみに蒋介石の弟の瑞青はわずか3歳で死んでいますが、母親は王氏を「冥土の妻」
としています。これは年齢がほぼ同じで亡くなった娘を貰って、「冥土の夫婦」とする
支那の風習からです。蒋介石と「毛福梅」との長男・経国は、名義上この弟夫婦の跡継ぎ
となっています―。まあ、これらのエピソードからも蒋介石の母親がどんなだったか
イメージできるでしょう。ぶっちゃけ蒋介石は、マザーコンプレックスですw。

128:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/24 00:14:01 pJo68z/W
ちなみに2番目の「姚冶誠」は芸妓の出身で内縁の関係でした。3番目の
「陳潔如」は蒋介石の支持者だった大富豪、張静江の媒酌で挙式―。
そのうち「陳潔如」の写真だけは、北伐中のものが現存しています。その後に
ようやく「宋美齢」が来る訳ですが、「陳潔如」は蒋介石から5年間の米国
留学を言い渡されて厄介払いとなり、1927年8月に上海を離れています。

蒋介石の女性関係は複雑で、1919年には「陳潔如」に求婚をして、
1921年には「姚冶誠」との内縁関係が始まっています。また既に
述べたとおり、「毛福梅」と離婚したのは1921年ですから、この間は
3人の女性と同時に婚姻・交際関係があったことになりますw。

また蒋介石は「陳潔如」に向けて、「毛福梅」との失敗した結婚について
●「17、8年間の罪」と呼び、●「いま目覚めることができた。もう
前車の轍を踏むことはない」とまで日記に書いています。

129:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/24 00:27:06 pJo68z/W
しかし蒋介石がもっとも痛烈に陰口を叩いたのが、事実上2番目の妻
となった「姚冶誠」です。蒋介石が「陳潔如」という3番目の新しい
妻を迎えたことに対する「姚」の怨みは凄かったらしく、

●「姚冶誠という女は嫉妬が染みついている。いつも人を不快にして
  くれるので、ことさら憂鬱だ」(1922年12月13日)

●「姚冶誠の顔を見るとうっとうしくてたまらないw。嫉妬深い女は養い難い。
  午後の来客は陳潔如が同席してくれた」(1923年4月12日)

ちなみに「姚冶誠」との関係は『蒋介石日記』上、1926年の初頭まで
確認されています。

130:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/24 00:45:16 pJo68z/W
まあ、何にせよ、宋美齢との婚約が整った1927年秋、蒋介石は
『申報』などの上海新聞各紙に●「蒋中正啓事」と題した個人広告を
掲載しています。その内容とは、

●「ご関心の各位へ。中正(蒋介石)は、元妻の毛氏と民国十年(1921)に
  正式離婚。その他2氏(姚冶誠・陳潔如)とは元来、婚姻関係になく、
  すでに縁も断っている。家中に2児あるほか妻女はなし。事実無根の
  風説にはご注意願いたい」

この『個人広告』に全てが表されているでしょうw。マグナムドライと云えば
そうですが、毛沢東が●「波乱に満ちた生涯のあいだ、『同士関係』を越えた
女性の数は『長江の鮒の数より多かった』」などと揶揄されるデタラメな女関係
だったのに比べれば、全然大人しい方でしょうw。つーか、当時からすれば
ごく普通かと。

131:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/24 00:56:33
スターリンの女性関係も相当派手だったようですし、それに比べれば
ヒデキは海外留学のときに少し話がある程度で、全く可愛いものです。

まあベリヤのような「超変態ロリコン野郎」でもない限り、為政者の
女性関係なんて特に問題にすることでもないじゃないですかw。

132:名無し三等兵
07/08/24 01:12:16 7ZGkenWt
岡村寧次らが終戦を聞いて「我々は負けていない」と言っていたが。
WWⅠのカフカス戦線(対トルコ戦)のロシア軍の将校がロシア革命が起こって
降伏すると聞いた時にまったく同じセリフを吐いたんだったな・・・・
東部戦線でドイツ軍に連戦連敗だったのと違いって、カフカス戦線は連戦連勝。
東部戦線でのゴルリッツ戦で大敗した後にも、あわや「東アナトリア打通作戦」が成功しかける
ぐらいの連戦連勝ぶり。これで革命が起こったから降服しろと言われても「ハァ?トルコ軍負けてるジャン。何いってんの」
と思ったのも無理はない。このときのトルコ軍の弱さはまさに国民党軍並み。ドイツ人の軍事顧問団も
あきれ返って、えらく罵倒しておられた。
歴史は繰り返すな・・・・・

133:白馬青牛
07/08/24 01:57:26 JQbeuYEa
>>93-94
少なくとも日本軍よりも八路軍の方が軍紀が良い。テロリストでは
無いでしょう。何れにせよ日本軍は早いか遅いかで自滅するしかなかった
でしょう。
>>119
長沙作戦は、冬季作戦と同じく負け戦じゃった。第二次長沙じゃあ、
善通寺40Dも、敵軍に撃破された名古屋3Dと熊本6Dの救援で
高知第236聯隊も巻き添えをくうてしもうた。
>>132
岡村司令官が負けてない云うても、蒋介石の「暴に報ゆるに徳をもってす」
に、名誉ある停戦としてのった訳じゃ。日本軍が「暴」で中国軍が「徳」
であることを認めて、どがあな名誉ある停戦になるんじゃろう。

134:だつお
07/08/24 03:54:05 13MzgCv6
>蒋介石の「暴に報ゆるに徳をもってす」

聞いたか。共産革命で国を追い出された、共産主義にも劣るチンピラゴロツキが、
皇軍に対してだけは「徳をもってす」るだとよ!!

笑わせるじゃねぇか。

そんな「徳」のカケラがもしあったというのなら、どうしてそれを皇軍
でなくて中国人民に対して「徳をもって」統治しなかったのかと。

中国人の「徳」とは、共産主義にも劣るチンピラゴロツキが、
皇軍に歯が立たなかったことのゴマカシ笑いのことだ。

135:名無し三等兵
07/08/24 03:58:58
ちんぴらごろつきのビタ銭目当てに
ハエのごとく揉み手する日本企業にも
一言いってやってくだちい

136:だつお
07/08/24 04:09:05 13MzgCv6
共産革命が起こるのは、共産主義者が扇動するから悪いんじゃない。
そもそも中共が延安にたどり着いた時は「最後の五分間」だったはず。
真に共産主義を撲滅するとは、農地改革を進めるなどして共産革命が
起こりえない豊かで住みよい国造りをすることだ。
だが中国人の「共産主義を撲滅する」は、それこそナチスのそれと同じ、
「共産主義者」のレッテル貼りで略奪暴行を欲しいままにすることだ。

国民党がいくら「共産主義者」を大量殺戮したとて、それは却って
「共産主義者」から報復され国を追い出される理由になっただけだ。
共産主義にも劣るチンピラゴロツキだと、国民党は自ら証明してしまった。

137:だつお
07/08/24 04:30:31 13MzgCv6
中国で共産主義革命が起こって国民党が潰れた、共産主義の脅威を認識せよ?

バカバカしい。

それは国民党のチンピラゴロツキが、チンピラゴロツキ同士の内部矛盾に
耐えられなくなって、幾何学で爆発してしまったというだけのことだ。

チンピラゴロツキうじ虫が沢山涌いてくる場所を指して「中国」、
その一つ一つを指して「中国人」と呼ぶ。

中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。
皇軍に虐殺されるために涌いてきたチンピラゴロツキ。

138:だつお
07/08/24 16:02:13 13MzgCv6
 スチルウェルは、シャノルトが自分を攻撃する準備をしているのではないかと疑い、
二人の間の古くからの敵意について、長い辛らつな分析を書いた。
 シャノルトは蒋総統に航空力がすべてを解決すると保証していた。彼は蒋介石に、
もし第十四航空軍が支援を受けるなら、日本軍の侵攻を防止してみせると言っていた。
いま彼はそれができないことを知った。そして、彼は彼自身のための逃げ道を準備し
ようとして、われわれが彼に与えるはずのないものを、ちょっとでも多く彼に与えれば、
まだできますと言い張っている。彼は自分がまちがった品物を売りつけた事実をおおいかくし、
さらには、その危険のあることを以前から指摘して対策を講じようとしてきた人びとに責任を
なすりつけようとしている。
 彼は日本軍の補給線に打撃を与えることができなかった。日本軍を後退させることができ
なかった。逆にわが方の準備はまさしく私が予言したとおりの結果を生んだ。つまり日本軍
の反応を誘った。その反応は、たとえ彼が主張した全航空支援をもってしても地上軍では
扱いきれないことを、彼は今になって認めている。

(原註1)これは一九四四年五月十日付の電報文につけたスチルウェルのファイルの中から発見された。

#ジョン・トーランド「大日本帝国の興亡」

139:だつお
07/08/24 18:57:09 13MzgCv6
中国で共産革命が起こって営利企業が否定されたのは良かったことだ。
営利企業といっても中国の財閥はマトモな市場競争に参加する気がなく、
米英独ソの援助援助で排日侮日をやるしか能がなかったからだ。
それは単純に、優秀な日本製品が流入してきて粗悪な中国製品が市場原理
で駆逐されて斜陽化していくのを、中国財閥が逆恨みして扇動しただけだ。
マトモに製品競争をやれば、先進工業国の優秀な製品には太刀打ちできない。
だから中華思想と抗日という民族主義でこれに対抗しようと。
金持ちが金で土地を独占支配し、貧民を排日侮日に駆り立てる。
こんな企業なら全部潰してしまって土地は全て国有制にしたほうがマシ。
それだけやっても米中衝突で特需景気と、実に良い結果をもたらす。

中国人がいくら米英独ソから機械輸入をしようとも、製品競争でなら
先進工業国の日本には歯が立たないし、かといってナショナリズムを煽れ
ば日中戦争に突入し大陸打通作戦チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロ。
根本的な原因は、中国人の絶望的な知能水準の低さにあったと言えよう。
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。

言ってしまえば1980年代の日米貿易摩擦と似てるかもしれない。
だがアメリカは先進国なので、国家レベルで煽ることはしない。

しかしまあ中国と比べてた場合、日本の工業水準は遥かに遥かに高くて、
中国人がいくら米英独ソの同盟技術支援を受けても歯が立たなかったんだな。
これで自由主義市場競争なんてやったら、中国企業は全て潰れるか日本企業
に買収されるかしかなくなる。それはちょうどバブル崩壊後の日本企業が、
外資ハゲタカファンドにどんどん買収されていくのと同じことだ。
それは公的資金投入やゼロ金利ごときで覆るものではなかろう。

140:名無し三等兵
07/08/24 19:26:09
>>107
カンジといえば上司の東久邇稔彦に
「どうも日蓮臭くていけない。世界のこととか何かを論じる時には、日蓮の臭みをとって
話したらどうか」と窘められていたそうな

141:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 00:24:40 MGlwsieP
>>132 >>岡村寧次らが終戦を聞いて「我々は負けていない」と言っていたが。

1945年8月に入りますと、日本内地から『降伏の兆候』『徹底抗戦』という
2つの相反する情勢が伝えられて、支那派遣軍でも相当混乱していたでしょう。

8月10日前後には、陸軍中央から初めて次のような降伏の意思が伝えられて
きています。

●『陸機密第61号』:帝国はソ連の参戦に伴い、強硬なる作戦遂行に並行して、
            左記に基づきソ連米英と交渉中なり。

(1)ポツダム共同宣言が天皇の国家統治の大権を変更する要求なきことを
   条件として、右宣言を受諾する容易あり。
(2)右条件の確約に疑義があれば、断固戦争の目的の達成に邁進す。
                          
                            陸軍大臣 参謀総長

142:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 00:43:52 MGlwsieP
要するに『国体の護持』が確約されるならば、日本は降伏するという事です。
もちろん百戦百勝を自負する支那派遣軍にとっては、まさに寝耳に水でした。

どちらにせよ「降伏と徹底抗戦」という二枚腰の戦略でしたから、この直後に
参謀総長名義で以下の電報が支那派遣軍にもたらされます。

●「国体護持・皇土保衛のためには、全軍玉砕するとも断じて矛を収めること
  なし。各国の平和宣伝攻勢および区々たる情報あらんも戦意を消磨する
  ことなく、任務完遂に遺憾なきを期せられたし」

これを受けて岡村寧次は早速、●「支那派遣軍将兵与える訓示」を全部隊に
下達しています。

「本職は連戦連勝に輝く皇軍最強の麾下精鋭を率い、全軍玉砕を賭して
 驕敵を撃滅し以って狂瀾を既倒に回さんことを固く決意せり。挙軍鉄火
 一丸となり大楠公の『臣一人生きてあれば聖運遂に啓かるべし』という
 忠誠に燃ゆる必勝の信念を以って一意驕敵撃滅に邁進すべし―」

143:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 01:00:46 MGlwsieP
これが8月12日前後だと思われます。降伏前日の8月14日になると
支那派遣軍は、中央から次の『大陸令』を受け取りました。

「(1)大本営の企図は対米主作戦の完遂を期すると共に、ソ連の非望破摧
 のため新たに全面的作戦を開始してソ軍を撃破し以って国体を護持し皇土を
 保衛するにあり。

 (2)支那派遣軍総司令官は、来攻する敵を随所に撃破して対ソ、米、支
 持久をはかり帝国本土における全軍の作戦に寄与すべし」

要するに、大本営も支那派遣軍に対して『強硬論』の命令を二枚腰でガンガン
言ってきている訳です。これを受けて岡村寧次も、参謀総長に対して再度の継戦の
意見具申を行ない、さらに8月14日午後4時、参謀総長を通じて天皇に対して
「継戦御聖断」の旨の上奏電報まで打っています。結果的には、これが勇み足と
なり、支那派遣軍が「最強硬」と目される原因の1つになっています。

144:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 01:13:48 MGlwsieP
翌日の8月15日には『玉音放送』となる訳ですが、支那派遣軍は
これに先立って「陸機密第68号」を日本内地から受領しています。

●「帝国国体の保持・皇土の保衛を条件とせるも、敵の提示せる条件は
  右目的達成を困難ならしむるものあり、小職ら万策を尽くして強烈に
  主張し、しばしば上奏せるも天皇陛下におかせられては四国宣言を
  受諾することを御親裁あらせられたり。御聖断すでに下る。小職ら
  万斛の涙を呑んで之を伝達す。
                         陸軍大臣 参謀総長」

もうこの頃には、岡村寧次らは天皇の聖断に対して『承詔必勤』を決めています。

ところがこれには余談がありまして、8月17日になると突然、皇族の朝香宮大将が
飛行機で支那派遣軍に来訪してきます。

145:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 01:24:10 MGlwsieP
朝香宮大将いわく、

●「外征中の将兵に対し、陛下のご真意を伝えるために、三総司令官
 (関東軍、支那派遣軍、南方軍)の許に皇族を派遣することなり、
 東京ではこの地の陸海軍がもっとも強硬で、抑留される恐れもある
 との風評が高く、貴下(岡村寧次)は最新参の総司令官ではあるが、
 あえて私が参上した。閣下方は私を抑留されますか?」

と内地の偏見とはいえ、散々な思われようですw。もちろん岡村寧次は、

●「そんなことは絶対にありません。一昨日の放送勅語を拝してから
 承詔必謹一筋になってります」

と答えていますw。

146:名無し三等兵
07/08/25 01:28:25 FKt2qquP
>>145
朝香宮大将「今日より朕が新天皇なり。支那派遣軍だけでも最後の最後まで
戦うことを望む!!支那の占領地はこれより本土から独立して聖戦を完遂する」


147:名無し三等兵
07/08/25 01:29:29 FKt2qquP
と言ったらどうなっただろうな・・・・・

148:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 01:40:47
>>143 >>「継戦御聖断」の旨の上奏電報まで打っています。結果的には、これが勇み足と
>>なり、支那派遣軍が「最強硬」と目される原因の1つになっています。

ヤスジ激しく後悔で、翌日の8月15日には ●「戦地にあって東京の状況を知り得なかった
とはいえ、継戦の上奏をあえてして『聖慮』に背いた」ことを理由に、退職転役方を電請
しています。まあ、もちろん受理されませんでしたが……。

149:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/25 08:33:08 U7YuHLjG
>>124 >>佐野眞一氏の「阿片王 満州の夜と霧」では小日向白朗などについての
>>言及もあると聞きますが。

載ってはいますが、ほんの10行程度ですよ。ちょっとだけ抜き出すと、

「木原氏によれば、奉天特務機関と白系ロシア人社会をつないだのは、自称『馬賊』の
 小日向白朗という男だった。木原氏と同じ新潟県三条出身の小日向は、尚旭東という
 中国名を名乗り、奉天特務機関長の土肥原の配下として、ソ連極東軍の動向に関する
 情報を集める特殊任務についていたという」

あとは1950年に小日向が日本に帰国して以後、東京小平に住み、1982年に
「最後の馬賊」としてその死が報じられた(81)ことに触れているぐらいです。

150:名無し三等兵
07/08/27 11:45:50
さよなら三角またきて四角
サンキューサンキューついでにヨンキュー
くやしいのうwwwwくやしいのうwwww
じゃんじゃんジャガイモサツマイモ
おどりゃクソ森わしゃ雨森じゃ
ギギギギ ラわーん オ ナイスデザイン
わしゃうろんがええよ
わしゃ嬉しくてクソとションベンがいっぺんにでそうじゃ
オース メース サース
ピカッと光った原子の玉に~ヨイヤサ、飛んであがった平和の鳩よ~
ぎゃーーーーー!!きちがいじゃーーー

151:名無し三等兵
07/08/27 19:36:26
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、自衛隊の総合火力演習行ったんです。総火演。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか団扇が置いてあって、ケーズデンキ、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、最上段に団扇置いただけで場所取りになるワケねーだろ、ボケが。
ケーズデンキの団扇だよ、タダで配ってる。
なんか腐臭の漂うデブ6人連れとかもいるし。養豚場から逃げ出して総火演か。おめでてーな。
よーしボク、アパッチ撮っちうゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、ケーズデンキの団扇やるからその席空けろと。
総火演ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
警備の強面の自衛官といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
撃つか撃たれるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ピザは、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、昨日の内に場所取った、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、BS団なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意気な顔して何が、最前列、だ。
お前はずっとその場所をキープし続けたのか。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ブルーシート貼りたいだけちゃうんかと。
総火演通の俺から言わせてもらえば今の最新の流行はやっぱり三段山中腹、これだね。
三段山中腹。これが通の座る場所。
三段山中腹てのは榴弾が多めに撃ち込まれる。そんかわり徹甲弾が少なめ。これ。
で、誰にも知られず座ってる。これ最強。
しかしココに座ると特科の隊員から標的にされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、仮設トイレにでも座ってなさいってこった。

152:イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
07/08/27 22:36:56 obu7xz6/
短期間、実家に帰省していたのですが、ちょうど移動時間に横山信義の『北米決戦1
―巡洋戦艦「浅間」』の新刊を買って読もうと発売日を楽しみにしていました。
そして書店に逝ってビックリ、何と乱丁で回収されて発売日が来月に延期とのこと。

「1ヵ月も待ってられねえよ」と思いましたが、まあ、取次の要請を受けて
すぐ店頭から引っ込めるなんて都内の大型店のみだろうと考えていたところ、
案の定、帰省先の小書店で『フラゲ』(フライングゲットw)できました。

読了いたしまして「乱丁」で回収とはいうものの、ページが前後して入れ替わって
いるだけで、内容的には何の問題もありませんので、まだゲット出来ていない方は
「新刊の配本がありつつ、やる気のなさそうな中小書店」を探すのが吉かと思われます。

どこかに乱丁があることを前提として読めば、すぐに気付くレベルです。とはいう
ものの、最終ページのいわゆる「次巻に続く」も、「『北米決戦・1』」に続く」
とおかしなことになっていますし、巻末の既刊紹介もカバーのジャケット写真が
モザイクというか「モアレ」で一部グチャグチャになっていますw。

153:イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
07/08/27 23:04:21
まあ、曲がりなりにも「小説」なので、ページが入れ替わっていたら
回収も止む無しだろうなあ、と思いつつ。担当編集者が可哀相だなあ、
と感じつつw。

原因をつらつら考えてみるに、最初は印刷会社が「面付け」を間違えたのか
と思いましたが、ノンブル(ページ番号)はちゃんと正しいので、最後の
最後で本文のDTPが、何かのひょうしでページの中味を入れ替えしちゃった
のかなあと。でもそんなことあり得るのかしらん?w

例えば、何かのひょうしで本文の1行を削除してしまったのを誰も気付かず、
本になってしまったとか(当然、文章が繋がらないw)というのは聞いた事が
あります。でも今回はレベルが違いますからねえw。

まあ、お盆進行なんで折り本チェックでも、きちんと見直す時間が無かった
んだろうなあ。まさかページが入れ替わっているのなんて、イチから読まんと
気付かんわなあw。まあ、気の毒だけど何にせよ編集者の責任だわなあと。

154:イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
07/08/27 23:09:33
全く関係ありませんが、『狼と香辛料』(支倉凍砂著、電撃文庫)メチャクチャ
面白いです。『クレイモア』の同人誌が今夏チラホラ出てましたけど、もっと
『狼と香辛料』のも出てこないかしらん?w ただ今5巻の3分の2消化。

155:元32(予備役少佐)
07/08/27 23:12:30
>>149
白系露人工作はハルピン特務機関の専管事項だったはずなので、
そのあたりは微妙です。

>>154
いつも『狼…』はおもしろいと聞きますがまだ読んでいない。
そろそろ読んでみなければ。

156:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/08/27 23:12:51
ええ、それはもう、GW・お盆・年末進攻は地獄ですから(ry

でも、ホント稚拙なミスだとおも。
RSBCでもダミーとして入れたようなデータを差し替え忘れたとしか思えないミスがあったけど、
これはどのような手順でこうなったかわからん。

まあ、漏れは担当編集よりもDTPやったスタジオの行く末に興味があるが(笑)

157:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
07/08/27 23:16:14
>>146 >>朝香宮大将「今日より朕が新天皇なり。支那派遣軍だけでも最後の最後まで
>>戦うことを望む!!支那の占領地はこれより本土から独立して聖戦を完遂する」


   /\/ i
  「` ´:::::::::ヽ   大変! 殿下がご乱心あそばされたわ!
   i::::::::ノノリ::::〉\\
   !:::l:!゚ ヮ゚ノリ  ', ',  ガッ
  と [ iH.i]ノ   | |   _,........,_
   くイ__/ノゝ  ヽ人/, ´,.-== ,ヽ
    iノ/_ノ .彡 <  > (ノノλノ)リ ., .
    /[] []  ノノV  .ルイ) ゚ ∀゚ノ) .: ;: ∴
   [] [] []        〈_,kつハ,イつ
   []]  彡       く/__ハゝ
              `'-i'_ィ,ァ"´

158:名無し三等兵
07/08/27 23:37:27
>>156
落書き護衛空母のことかー

159:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/27 23:47:30 obu7xz6/
>>124 >>北支や満洲近辺の麻薬関係だと馬賊とかが十分絡んでくると
>>思うのですが、その辺りはどうなんでしょう。

馬賊の関連についてはよく分かりませんが、池田純久(陸軍中将)が書いた
『陸軍葬儀委員長』(日本出版共同、1953年)にこんな記述があるそうです。
ちなみに池田は、関東軍第4課(満州国関連)の嘱託時代の里見甫とも一緒に
机を並べています。それはさて置き、池田の話を要約すると以下の通り。

満州事変当時、日本で喰いつめた浪人一旗組の多くが、支那の奥地に流れ込んで
阿片の密売に従事していました。彼らは日本人としての「治外法権」を盾として
堂々と『日の丸』を掲げて阿片を売っていたと云います。

よって支那人の中には、日の丸の旗を見て、これが『阿片の商標』だと勘違い
している者が少なくありませんでした。時々、日本の国旗が陵辱されて外交問題に
発展する事件がありましたが、よくよく調べると当の支那人はそれを国旗だとは
知らずに『阿片の商標』だと思っていたと云います。本当かよ(藁)。

160:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/27 23:55:28 obu7xz6/
この話にはさらに続きがありまして、ある日本人の名士が支那奥地を
旅行したところ、車窓から山間の寒村に「日の丸の旗」が翻っている
のが見えました。この名士は、

●「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか……」

と感涙したと云いますが、これに対して池田純久が曰く、

●「何ぞ知らん、それが阿片の商標であることを知ったら、彼は何と
  言って涙を流したであろうか」

と皮肉っていますw。しかし池田が続けて述べている、●「兎に角、
日本人の阿片密売者は中国人から蛇蝎の如く恐れられていた」という
のは実際のところだったでしょう。

161:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/28 00:05:45
>>155 >>いつも『狼…』はおもしろいと聞きますがまだ読んでいない。
>>そろそろ読んでみなければ。

いつも『リリカルなのは』はおもしろいと聞きますがまだ見ていない。
そろそろ見てみなければ。

何か深みにはまりそうで怖いなあ…w。まだレンタルビデオ屋にDVDは
置いてあるのかしらん?

>>156 >>まあ、漏れは担当編集よりもDTPやったスタジオの行く末に興味があるが(笑)

クレジットを見るにDTPが「平面惑星」で、編集協力が「らいとすたっふ」。
あんまり「らいとすたっふ」じゃないなあ…w。と思いきや、横山信義はここの
新人育成からデビューしたのでしたっけ。

162:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/28 00:34:14 M2HML1e3
>>111 >>109-110 は適当に流し読みしておいてくらさいw。

さて『日本陸軍と阿片問題』のテーマで最重要人物のひとりである「MONSTER」
里見甫の人物紹介ですが、『北京新聞』を辞めて「満鉄の嘱託」に転じたところまで
述べたと思います。少し早回しし過ぎましたので、以下の話は補足にあたります。

里見甫は、後の『阿片王』のイメージが強烈ですが、もともとはジャーナリストとして
大身を成した人物です。特に国民党軍の内情に詳しく『北京新聞』時代には記者の立場で
北伐にも従軍しています。文学者の郭沫若とも親交を結び、1928年6月には北伐を
完了して北京に入城した軍服姿の蒋介石とも会見しました(このときの里見は支那服姿)。

この同じ年(1928)、日本軍と北伐軍との武力衝突である「済南事件」が起こり
支那側の死者が5千人にも達しました。もはや一触即発を通り越して、完全な軍事的
激突になりそうな場面でしたが、解決のために日本軍と北伐軍とを結ぶ外交パイプが
ありません。

163:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/28 00:59:49 M2HML1e3
そこで日本軍は、国民党軍に知己が多い「MONSTER」里見甫に
調停の斡旋を依頼してきました。

この調停に熱心だったのが当時、支那公使館附武官だった建川美次少将と
同補佐官の原田熊吉少佐、それに参謀本部で支那研究員だった田中隆吉大尉
の3人だったと云います。

164:名無し三等兵
07/08/28 20:05:56 42YcnRYx
日中戦争中の国民党軍と国民党軍支配下の一般市民の死傷者は結構発表されているが。
共産党軍と共産党軍支配下の一般市民の死傷者。更には軍閥兵いわゆる傍系軍や馬族・匪賊の
死傷者はどの程度だったんでしょうね。
全部国民党の目の届く範囲での被害しか語られていないのでね。

165:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/28 23:03:20 mL3mTlFi
>>164 まあ、支那人の死者数は1000万人(一説には2000万人)と古くから
言われていますし、現在の中国人民抗日戦争記念館には、●「日本の中国侵略で
3500万人の死傷者と5000億ドルの経済被害が出た」と書かれています。
ちなみに台湾(中華民国)の数字だと死者700万~800万人となります。

1987年には、劉大年(中国社会科学院名誉所長)が、●「現存する戦争当時の
戸籍簿をすべて洗い直すなどの作業の結果、従来ほとんど計上されていなかった『一般
民衆の餓死者や病死者』を含めて、死者だけで2000万人以上」と発表されています。

どんだけ日本軍は「メガデス」的存在なのやらw。

結論から言えば、考えるだけ無駄です。どこまで日本軍と因果関係があるのか
一線を引くことは困難でしょう。そもそも支那事変期間における支那人全体の
死亡者数自体がよく分かりません。まあ、現在の地球温暖化を考えるなら、ぜひ
「億単位」はいきたかったのが悔やまれるところです。せめて1億人。

166:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/28 23:24:49 mL3mTlFi
>>163 >>そこで日本軍は、国民党軍に知己が多い「MONSTER」里見甫に
>>調停の斡旋を依頼してきました。

里見甫は、2ヵ月にわたる日本軍と国民党軍との仲介工作の結果、協定文書の
調印までこぎつけます。この時のことを里見は、

●「この件、小生今日まで黙って語りしことなく、知る人なきも小生の中国
  生活中、自ら明治維新の江戸城明け渡しの故事にも思い至り、自らを誇り
  自ら自身を慰めること(中略)当時の写真一葉あり。小生終生の記念なり」

と振り返っています。里見が演じたのは勝海舟でしょうか、それとも西郷隆盛
だったのでしょうか。いずれにせよ間もなくして、蒋介石の国民党軍が北京に
入城し「北伐」は完成しました。

167:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/28 23:50:13 mL3mTlFi
大仕事を終えた里見はその後『北京新聞』を辞めて、満鉄へと転職します。

これは北伐を終えた蒋介石が国民政府の首都を南京に移したため、同紙が
規模縮小したからです。里見は満鉄の「南京事務所長(嘱託)」として
南京に赴任、国民政府を相手に鉄道建設や借款の交渉などにあたりました。

この時期の里見の主な業績を挙げると、

●「国民党第3回中央執行委員会 第3次全国会議」の概要を翻訳著述
●中共が支配する地域を取材し、紅軍のビラなどを柳行李2個分を収集
●国民政府に対して満鉄の機関車の売り込みに成功

などなど華々しい業績をあげて、『満鉄に里見あり』と急速に声望を高めます。
また南京では要人との付き合いが多くなり、とくに香港のナンバー2と言われた
周錫年とは肝胆相照らす仲となり、香港に進出する日系企業について吉田茂外務
次官や三井物産の向井常務らに紹介・斡旋することまでしていました―。

168:名無し三等兵
07/08/29 00:03:17
       戦時大本営条例

第一条
 天皇の大纛下に最高の統帥部を置き之を大本営と称す

第二条
 大本営に幕僚及各機関の高等部を置く其の編制は別に之を定む

第三条
 参謀総長及海軍軍令部長は各其の幕僚に長として帷幄の機務に奉仕し作戦を参画し終局の目的に稽へ陸海両軍の策応協同を図るを任とす

第四条
 陸海軍の幕僚は各其の幕僚長の指揮を受け計画及軍令に関する事務を掌る

第五条
 各機関の高等部は各其の幕僚長の指揮を受けて当該事務を統理す

169:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 00:22:14 e4KVblLg
まあ「MONSTER」里見甫は、元々ジャーナリストだった訳ですが、
『京津日日新聞』と『北京新聞』時代に培った政治感覚と、支那要人の
あいだに築いた幅広い人脈は、「いち満鉄マン」という立場に留めておく
には余りに大き過ぎた訳です。というか、周りの人間が放って置きません。

こうして1931年に満州事変が勃発しますと、満鉄は南京事務所の里見を
本社のある大連に呼び出します。そして1931年10月5日、新設された
『関東軍第4課』に出向を命じました。

これが里見のその後の人生の大きなターニングポイントとなる訳ですが、
「関東軍第4課」は、満州国の対外宣伝と、満人ら先住民の人心安定を図る
宣撫工作担当の部署です。

関東軍は「MONSTER」里見の卓越した語学力と、支那社会の裏表に
わたった豊富な人脈、そしてジャーナリストとして中国の世論形成を知り
尽くした稀有な能力を買ったのです。

170:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 00:43:14
『日本陸軍と阿片問題』のテーマとは掛け離れていると感じるかも
しれませんが、コンクリの基礎を固めている段階と思ってくらさいw。

171:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 23:01:03 fjQ9Dkgf
こうして関東軍に出向を命じられた『MONSTER』里見甫ですが、新聞記者
時代で既に、高級参謀の板垣征四郎や作戦参謀のカンジ(石原莞爾)とは面識が
ありました。

また直接の上司である関東軍第4課長の松井太久郎(中佐)は、同じ福岡県人で
あることの関係もあってか、里見の能力を高く評価。お互いの信頼関係は深まり
松井中佐を通じて、奉天特務機関長だった土肥原賢二大佐の知遇も得ることに
なります。

さて新設された関東軍第4課の大きな仕事の1つが、「満州国に速やかにナショナル
エージェンシー(1国1通信社)を設立すべし」というものでした。

営利目的の通信社が乱立したり、外国通信社が幅を効かせることで誤ったニュースが
流れれば、満州国の国際的地位が低下し、いたずらに人心を混乱させる恐れがあると
いう理由からでした。ちなみに「1国1通信社」とは、ソ連のタス通信、アメリカの
AP・UPの両通信社、英国のルーター通信などを思う浮かべると話が早いでしょう。

172:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 23:10:21 fjQ9Dkgf
>>171 >>また直接の上司である関東軍第4課長の松井太久郎(中佐)は

参考までに「松井太久郎」の経歴を挙げると以下の通り。

◎北平特務機関長(大佐)→◎張家口特務機関長(少将)→◎近衛歩兵第1旅団長→
◎満州国軍最高軍事顧問→◎第5師団(広島)長(中将)→◎汪兆銘政府最高軍事顧問→
◎支那派遣軍総参謀長→◎第13軍(上海)司令官

まあ、支那通軍人の1つの典型でしょう。

173:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 23:34:16 fjQ9Dkgf
まあ、すったもんだが色々ありまして1932年12月1日、満州国の
ナショナル・エージェンシーとして『満州国通信社』(通称:国通)が
創設されました。

『MONSTER』里見甫は、その初代社長(実質)に就任することに
なります。ちなみに編集局長は、東亜同文書院で里見の3期後輩にあたる
大矢信彦を新聞連合通信社より招いて経営にあたりました。

ホップ・ステップ・大ジャンプというか、異例の大抜擢のように感じられる
でしょうが、もちろん背景となる裏事情が存在します。

当初、『満州国通信社(国通)』のトップとして名前が挙がっていたのは、
シベリア出兵当時、ウラジオ派遣軍参謀長だった高柳保太郎(予備役陸軍
中将)だったのですが、「高柳案」には現場の反発が強くて流産となります。

174:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/29 23:51:22 fjQ9Dkgf
ここで「新聞連合社奉天支局長」の佐々木健児という人物が登場するのですが
佐々木は、関東軍第4課長の松井太久郎中佐から「高柳案」の代案を出すよう
求められ考えあぐねていました。頭を抱えて関東軍第4課のだだっ広い部屋を
見渡すと、そこに坊主頭の『MONSTER』里見が座っているのが目に付いた
と云いますw。即座に―、

佐「あれだ、あれだ」
松「あれって誰だ?」
佐「里見さんだ」
松「里見君で大丈夫か?」

というやり取りがあって、

佐「実務は私が面倒を見るから心配ない」と請け負うと、
松「よし、分かった」と松井(太久郎)課長はあっさりと承知して、
本庄茂(関東軍司令官)のもとに報告しに行ったと云います。

175:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 00:07:27 pBZfYxl9
ちなみに「関東軍司令官」の本庄繁とも里見は因縁がありまして、
この時点から昔にさかのぼること約10年―。

里見がまだ『京津日日新聞』の記者時代で張作霖と会見した際(1922年)、
張作霖の軍事顧問だった本庄繁(大佐)が通訳を兼ねて同席しています。

この辺の人と人との因縁の深さが、里見が『MONSTER』である由縁でも
あります。ちなみに関東軍第4課長の松井中佐が、「満州国通信社」のトップ
候補として里見の名前を挙げると(>>174 参照)、

本庄司令官は机上のメモに赤鉛筆で、●「里見は金にだらしがない」と書いて
スッと松井課長に突き出したと云います。これに対して松井課長は、●「昔は
そうだったかも知れませんが、自分のところへ来てからは、そういうことは
ありません」と返します。結局、本庄が●「君が保証するか?」と一言を取った
ところで、あっさり済んでしまいました―。

176:名無し三等兵
07/08/30 00:19:02
>>56
「国民政府を相手に」していればそこで勝利という考え方もあります

177:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 00:35:54 pBZfYxl9
まあ、本庄繁が●「里見は金にだらしがない」と反対したのは、里見自身が
金に汚いと言っているのではなく、逆に金離れの良さというか気前の良さが
半端ではなく、その点を心配する余りの忠告だったと云います。

要するに『MONSTER』里見は、後に『阿片王』となる男にも関わらず、
金に執着するところがまるで無かった訳です。日本人離れしているというか、
常人離れしていたところでしょう。

里見自身は『国通十年史』という本で一連の出来事を以下のように回想しています。

「本庄軍司令官の許に挨拶に行くと、『今度は貴様スグ辞めることはならんぞ』
 と私の放浪と投げ出し癖を知って居られる将軍から諭されて恐縮したことを
 覚えている」

まあ、こうして『MONSTER』里見の「満州国通信社」のトップ人事が
決定した訳ですが、まだ30代半ば(1896年生まれ)という年齢では位負け
しているということで、正式には「主幹」という役職に落ち着きました。

178:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 23:17:01 8j6Kf+oq
こうして創設された『満州国通信社』(国通)ですが、主幹・里見甫、総務部長・
大矢信彦、通信部長・佐々木健児という「東亜同文書院」出身トリオで始まりました。

通信部長の佐々木健児は、関東軍第4課長・松井太久郎中佐に里見を最初に推薦
した人物ですね(>>174 参照)。スタート当初は社員100名足らずで、支局も大連、
ハルビン、奉天ぐらいにしかありませんでしたが、最盛期には社員1000人を超え、
支局も満州全土に膨れ上がっていました。

まだ40歳にも満たない『MONSTER』里見甫ですが、支那におけるその人脈の
広さは恐るべきものがあります。「満州国通信社」は1933年5月に、ロイター
通信との提携契約を結んで国際的にも話題になりますが、この時の経緯を当時『新聞
連合社』(後の同盟通信社)の上海支局長だった松本重治が、その著書『上海時代』に
詳しく書いています。

参考までに松本重治は汪兆銘工作でもその名前が挙がりますし、過去の中テーマ
『上海航空決戦』でも若干ながら取り上げました(過去スレ参照)。

179:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 23:30:34 8j6Kf+oq
以下の話は1933年5月といいますから、関東軍による『熱河作戦』が
終息に近づいている頃です。『満州国通信社』の主幹となった里見甫から
松本重治に対して、

●「近くロイターと通信契約をしたいと思っているから、チャンセラーとの
 交渉斡旋のため、新京(長春)に来てくれないか?」

という趣旨の丁重な依頼状が届きました。ここに登場するチャンセラーとは、
ロイター通信の極東支配人であり、松本とは友人でありライバル関係にある
人物です。(クリストファー・)チャンセラーは後にロイター通信の社長となり
ました。そしてたまたま偶然の事ですが、当のチャンセラーから松本に対して、

●「国通(満州国通信社)との話があるので、君も一緒に行かないか?」

という話が来た訳です。そこで「善は急げ」とばかりに、上海を船で後にし
大連に到着しました。埠頭にはわざわざ新京から里見甫が迎えに来ています。

180:名無し三等兵
07/08/30 23:31:55
全館初版でこそ至高
なるたる今オクに出したら2セットぐらい新たに買えそうだ

181:名無し三等兵
07/08/30 23:32:40
誤爆w

182:七色の人形遣い アリス・マーガトロイド ◆FU/OcfTlfM
07/08/30 23:39:29

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    松本重治については『西安事件』を独占スクープして
  `,く_,`ハ,イつ    世界中に衝撃を与えた、と言った方が通りが良いわね。
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´

183:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:03:57 DSZpW7oY
>>179 >>埠頭にはわざわざ新京から里見甫が迎えに来ています。

その夜は里見の案内で大連の「ヤマトホテル」に泊まり、翌日は新京行きの
夜行列車の時間まで、やはり里見の誘いで海水浴場をドライブしたり、大連
市内の名所旧跡を観光しています。

ロイター通信の極東支配人・チャンセラーとの前交渉は、新京行きの夜行列車で
行なわれましたが、里見甫にとともに松本重治が通訳として同席していました。

交渉は無事合意に達して翌日、新京のヤマトホテルで正式調印がなされますが、
満州国総務庁次長の阪谷希一も立会っています。更にその夜は新京の日本料亭で
『MONSTER』里見招待の宴会となりますが、座敷には『阿片問題』を担当
する禁煙総局の難波経一や、大蔵省から満州国に出向した若手官僚も勢ぞろい
していたと云います―。

184:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:15:58 DSZpW7oY
さらに『MONSTER』里見甫は、松本重治に対して宴会の席中―。

●「他に会いたい人がいれば、誰でもアレンジするよ?」

と声をかけました。松本が、

●「関東軍の小磯国昭参謀長には会ってみたい」

と答えると、明後日には小磯との会見がもうセットされていたと云います。

トドメとばかりに、松本が里見と吉林省に日帰り旅行した帰りの列車中、
『東洋のマタハリ』の異名を取った川島芳子が偶然席に加わってきます。
この時の川島は断髪洋装で、膝まで届く黒い皮の長靴を履いていました。

川島芳子は里見のことを「おじちゃん」と呼び、冗談交じりの会話を続けて
ほとんど松本そっちのけですw。

185:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:31:41 DSZpW7oY
また人脈の広さでいうなら、松本重治も超ジャーナリストとして
「ネ申」クラスです。

思いつくままにツラツラ挙げただけでも、そもそも松本重治の祖父は
明治の元勲・松方正義ですし、歴史家のアーノルド・トインビーや
ロックフェラー財団のジョン・ロックフェラー3世は、松本のことを
「無二の親友」だと言います。

近衛文麿とも友情を保ちましたし、近衛の自殺を止めようとしています。
西園寺公望の孫・公一とは「キンちゃん、シゲちゃん」と呼び合う仲w。
秩父宮がアルプス登山するときは同行、当時宮仕えだった本間雅晴とは
一緒にテニスをしています。また内山書店で立ち読みしている魯迅を偶然
見かけ、会食の栄に浴しています。

上記はほんの一部ですが、ちなみに1927年の金融恐慌で資産のほとんどを
失い、12円50銭が松本重治の相続した全てだったと云います。

186:動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM
07/08/31 00:43:21

    r,ヘ─-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´      
    `i Lノノハノ」_〉     
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|    松本重治は、その著書『上海時代』の中で
    !γリi.ハiリつ      里見のことを、●「私利私欲に恬淡な人だ。 
    |,( ll」i l i_|」     その点が、私には付き合って気持ちが良い。
    └'i,_ィ_ァ┘       天馬空を行くような、きっぷのよい男だった」
                と述べているわ―。

187:名無し三等兵
07/08/31 20:19:44 UliLOF+G
>>165
結局のところ国民党支配下の犠牲者しか分らんわけね。馬賊や匪賊等の死傷者については
皆目見当もつかないわけですか……
まあ馬賊・匪賊が何人死のうが国民党にとってはどうでもいい事だから絶対に勘定に入れていないな。

188:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 00:07:36 FEWZsaT3
>>187 >>結局のところ国民党支配下の犠牲者しか分らんわけね。

「戸籍制度」が整備されていなければ結局、雲をつかむような話です。現在の
日本だって、その辺のホームレスが野垂れ死んで『身元不明』のままだったら
当人の戸籍はどうなるんでしょうね。つーか、もともと住民票もないのかw。

試しにググってみたら『戸籍売買』とか、今のホームレスの数は全国に2万5000人、
そのうち大阪が8600人で全体の30%(東京が6300人)とか色々出てきましたw。

支那の社会制度は専門外なので詳しくありませんが、中国で姓名を義務付けた近代的な
戸籍制度が作られたのは「国民政府」以降とされます。例えば、南京大虐殺の被害者には
同姓同名の人物が非常に多い。これは「名前」を義務づけた当時、多くの人が適当に
というか、どこかで聞いたことのあるような名前を自分に付けたために、特定の名に
集中したようです。

189:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 00:26:23 MYE6KIOL
要するに、近代的な戸籍制度が確立する前の『伝統社会』では、当人が
立ち回る範囲(地縁・血縁)の『利益社会(ゲゼルシャフト)』の中で
他人と区別されればそれで良いという話です。

そのためには「名前もどき」があれば不自由しない訳で、そのような社会
での名前の意義は現代とは全く異なります。

日本だって明治維新以前は、庶民の間で「姓」が一般的でなく、名前も家族と
近所で区別が付けばいいという程度でした。ある地方に行けば、異様に同じ
苗字が多い(田中、矢野など…)ことも多いでしょう。たまに実家へ墓参りして
周りの墓石を見渡すとビックリします。

支那の場合は、氏族の姓の方が重要で、名前の方がいい加減だったと
いうことでしょうかw。結局、日中戦争での正確な犠牲者の数なんて
どう統計しろという話です。

190:名無し三等兵
07/09/01 00:45:31
>>165
>せめて1億人

毛沢東がやってくれましたよ

天に代わりて 敵を討つ~♪

191:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 00:56:10 MYE6KIOL
ただ「教えて!goo」などを見ますと、

>>1000万人も殺せるほどの戦力を日本軍は配備してませんよ。

などと異様に「過小評価する」意見も多いのですが、自分はこれには
反対です。詳しくは過去スレの『大テーマ:北支の治安戦』で取り上げて
いますが、日本軍は例えば、中共の食糧供給を断つために穀物の破壊などを
「通常の作戦」として行なっています。いわゆる兵糧攻めというヤツですね。

一例を挙げると、1944年6月8日に陝県の指点村を占領したときには、
数千畝(アール)すなわち数十ヘクタールの小麦畑を焼き潰し、その地域の
食糧660,000斤の穀物が失われたと云います。1斤=500グラムで
計算すれば約330トンに当たります。

192:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:11:49 MYE6KIOL
こうした「食糧収奪」目的の他にも、例えば日本軍が飛行場を建設するため
鉄道沿いのトウモロコシ畑を潰したときには、20ヘクタールの農地が
支那人から取り上げられました(1939年)。

また日本軍は馬に喰わせるために、博愛県南門村で5.2ヘクタール分の
農地から小麦を刈り取ったという記録もあります(1938年)。

さらに泥濘の道を、砲や装甲車両が通れるようにするために奪った穀物を
バラ撒いて使った(車輪に噛ませるため)ということもw。

この辺は「ジャイアン」みたいなものですがw、直接的に餓死した支那人や
あるいは流民となって間接的に死んだ支那人を考えていくと、

>>1000万人も殺せるほどの戦力を日本軍は配備してませんよ。

という考え方は、あまり意味がないでしょう。

193:名無し三等兵
07/09/01 01:13:02
支那朝鮮の命名法はちゃんとした家系なら
十干に基づいていて1字を選ぶので代がわかるようになってますね
木(甲乙)火(丙丁)土(戊己)金(庚辛)水(壬癸)
これから1字そして他に1字で10代でひとまわりします

(知人の中国人に聞きましたが、父親から男の子が生まれたら名前に使う文字を教えられてるとか
テキトーながら一応族譜もあるみたいです)

おかげでセンスがないと朝鮮人のように火や金の代は漢字選びに困ってやたらと火ヘンや金ヘンの漢字が目立ったりしますね


炳とか熔燁鉉などなど普通は使わないような人名漢字が頻出します
また銅錫鐘などもつかいますね

蒋介石の息子の蒋経国と蒋緯国はどういうふうなのかよくわかりませんね


194:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:32:44 MYE6KIOL
こういうのを考えていくと、日中戦争が原因で一体、何人の支那人が
日本軍のために死んだかなんて、やはり「雲をつかむ」ような話です。

そして当然の事ながら、似たようなことは国民政府も中共も自国民に
対して行なっています。日本軍に協力(たとえ強制でも)したといって
中共軍に『漢奸裁判』で報復リンチ刑に処されたケースはいくらでも
あります。

さらに恐ろしいのは、日本軍に食糧を収奪されたからと云って被害農民たちが
激怒して中共側に結束したなんて話は当てにならない訳です。多分に戦後の
宣伝が入っているでしょう。

実際は、自分たちの生命、財産を守れない『頼りにならない支配者』という事で
見切りをつけるケースも多かった訳です。日本軍側の占領地の方が安全で、かつ
食いっぱぐれがないとなれば、中共の支配地から人口が流出することもあります。
要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる方に付く」訳です。

195:四季のフラワーマスター 風見幽香 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:40:29

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)  
   ||     メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl)  「治安戦」は本当に地獄だぜぇー! 
   ヽ.   _Q)#」ネl」)つ    なんてね。おひさー。
      ̄ ,<´_#,#ハ   
        ` "i_フ_フ"   

196:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 01:49:12
>>193 >>支那朝鮮の命名法はちゃんとした家系なら
>>十干に基づいていて1字を選ぶので代がわかるようになってますね

いやー、そこまで専門的になると全く話についていけませんね。
もっと勉強しまふ。

>>炳とか熔燁鉉などなど普通は使わないような人名漢字が頻出します

ノムヒョン(盧武鉉)やファンジャンヨブ(黄長燁)もそうなんでしょうかw。

197:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 02:00:06 MYE6KIOL
>>194 【訂正】
× 要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる方に付く」訳です。
◎ 要するに、日本側であれ支那側であれ「食わせてくれる強い方に付く」訳です。

『過去スレ(7)』から補足として抜粋すると、
>上記のような作戦は、当然のことながら「未治安地区」(中共支配地区)の
>住民に『飢餓』をもたらします。そのため「日本軍占領地区」に逃げ込んで
>いく人間も少なくありませんでしたし、日本側の記録でも

>●「河北省ではそのような者は苦力になった」●「女・子供に餓死者が出た」
>●「移住してきた地区に木の葉が食べられずに残っているのを見て住民が驚いた」
>などのエピソードがあります(北支那方面軍参謀部:『経済封鎖月報』より)

>まあ、こうした住民からは日本軍に対する怨恨が生まれるのは当然ですが、
>八路軍に対しても『自分たちの食糧確保に無力な共産軍』として同様に
>怨嗟の声が高まっている、というのは面白いところです。

198:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 02:06:11
いま『朝生』を見てるんですが、森永卓郎がしゃべると
イラついてしょうがないと感じるのは自分だけでしょうかw。

199:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/01 02:15:41
ついでに>>197 の続きということで…。

>先に>>226 で、

>>>治安戦の結論の1つでもありますが、『住民は強くて搾取しない方に
>>>味方するだけ』です。まあ、『強くて』が大事なポイントな訳ですがw。

>と述べましたが、後段の『強くて』とはそういうことです。
>また「搾取しない方」とは、裏を返せば『搾取されない方』とも
>言い換えることが出来る訳です。

200:名無し三等兵
07/09/01 03:13:22
>『住民は強くて搾取しない方に味方するだけ』

支那に限らず万国共通だろう。ましてや逃げまわれる広大な国土を有していれば尚の事。
日本みたいに逃げに適さない細長い国土と違い、日本に比してあっちは東西南北に果てしなく陸続きなんだから

201:名無し三等兵
07/09/02 02:02:12 KVSssxMK
1、国民党軍
2、共産党軍
3、傍系軍(軍閥)
4、馬賊
5、匪賊

全部で5種類の敵がいたわけだ。米陸軍航空隊とかは除いて・・・・

202:法務大尉
07/09/02 08:46:00 qBShwUU4
軍の分類では、
1、中央軍(國府軍
2、共産軍
3、雜軍
です。
軍閥は傍系とは言へ兩軍何れかに屬して行く傾向があります。これは強大なものほど顯著ですが、何處に屬さうと本質的に戰鬪を嫌ひますから、結局強敵ではあり得ません。直系軍の方が手強ひ。
馬賊、匪賊は所詮警察行動の對象で、大したものではありません。戰鬪力としてはゼロに近し。良いのを馬賊、惡いのを匪賊と呼び分けますが、判然たる區別はありません。


203:法務大尉
07/09/02 09:05:49 qBShwUU4
 手強ひ→手強い

 支那戰線では軍事技術や經驗等個人の能力が物を言ひますから、古い兵隊程強ひ。
 四年兵ともなると中々死なない。
 但し兵役法の關係で四年目にはいい加減滿期、復員させねばなりません。
 この點支那兵、殊に紅軍は一生を軍隊で送るので超古年次兵少からず、軍事的專門技術は乏しくとも相応の工夫あり、侮れません。
 彈丸が無いので狙撃に長ずるとか、生れ附き大貧民なので寒暑缺乏劣惡な環境に耐へるとか、頭惡いのでくよくよ惱まない死地に陷つても氣附かず明るいとか、犯罪國家なので夜襲には來ずとも夜盜には連夜押寄せて來るとか・・・

 越南戰役で米兵の死傷が多かつたのは、滿壹箇年で次々交代させ、未熟者で溢れてゐたことが一因だらうと推測します。

204:名無し三等兵
07/09/02 09:12:02
何處の何方か存じませんが、未だに舊字舊假名遣ひ
やつてるのは阿呆としか言ひやうが有りませんね。

205:名無し三等兵
07/09/02 11:47:31 KVSssxMK
旧字体でっか?戦後日本では常用漢字は簡略化されて本場中国の文字よりも
画数が減って書きやすくなり識字率が向上した。

戦前戦中の漢字は画数が多いので素早く書くのに適していない。

206:名無し三等兵
07/09/02 15:30:32 qBShwUU4
それは虚構だな。
臺灣は劃數の多い正字だが、國民一人平均一萬三千字知つてる。
支那大陸は簡單な略字だが、三千字しか知らない。
劃數は關係無いやうだ。



207:名無し三等兵
07/09/02 17:31:29
コテつけたままにしてくれよ

208:蒋介石
07/09/03 11:11:47 8y0wEpPD
昨日、NHKで支那大陸での毒ガス使用を放映していたがジュネーブ条約違反では?

209:名無し三等兵
07/09/03 12:29:13

スレリンク(news4plus板)l50

【アフリカ】「メード・イン・チャイナ」と書かれたTシャツを引き裂く…なぜ今アフリカで反中感情が…?[02/05]

中国人監督官が労働者に発砲、46人が死亡



210:名無し三等兵
07/09/03 13:26:39
>>208
そもそも入ってない。

211:名無し三等兵
07/09/03 13:34:41
二流工業国の日本軍に大陸打通作戦でボコボコにされた中国国民党軍というのは、
ちょうど同じく二流の英軍にボコにされた北アフリカのイタリア軍と似てるかも。
こうなると敵の攻撃よりも、味方陣営からの非難嘲笑がずっと辛くなる。
蒋介石はアジアのムッソリーニだったのかもしれない。

212:名無し三等兵
07/09/03 15:00:15
だつおはコテ外しても
まる分かりだな

213:名無し三等兵
07/09/03 20:22:18 BGK9q2Xd
弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準ってどれくらい?

最強ナチスドイツ軍を撃破してベルリンを陥落させた共産主義ソ連と比べて?

財閥栄えて国滅ぶって本当なのか?

214:名無し三等兵
07/09/03 20:22:30 deHHdo3m
1、冬戦争(ソ連軍)
2、ギリシア侵攻(イタリア軍)
3、ロシア派遣イタリア軍(イタリア軍)
4、WWⅠのカフカス戦線の(トルコ軍)
5、WWⅠのセルビア侵攻(オーストリア=ハンガリー軍)
6、日中戦争(国民党軍)

以上()の中の軍隊ははいずれも数において遙かに勝る方が少数の敵に完敗を喫した戦いである。
実はこの中では国民党軍はやられながらも健闘しているほうだ。
戦争は数の多さだけで決まらないという証拠。

215:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 22:51:16 HsRbQGi3
>>200 >>日本みたいに逃げに適さない細長い国土と違い、

まあ、日本も中世ですと、ちょっと領主が無理を言えば(徴兵など)直ぐに
『集団逃村』していましたw。

>>203 >>越南戰役で米兵の死傷が多かつたのは、滿壹箇年で次々交代させ、
>>未熟者で溢れてゐたことが一因だらうと推測します。

支那事変でそれをやっていたら堪りませんねえw。

>>204 >>何處の何方か存じませんが、未だに舊字舊假名遣ひ
>>やつてるのは阿呆としか言ひやうが有りませんね。

つーか、旧字に変換するソフトでもあるのかしらん? 自分はいつもIMEパッドの
手書きで探していて苦労していますw。あと「?」で表示されないのが不思議です。

216:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:11:02 HsRbQGi3
>>208 >>昨日、NHKで支那大陸での毒ガス使用を放映していたが
>>ジュネーブ条約違反では?

ゲゲッ!! また「NHKスペシャル」見逃した……w。土日は頭痛がひどくて、
寝込んでおりました。鬱打支膿……orz.

>>213 >>そもそも入ってない。

そういう訳です。よく議論になるのは、『あか』(くしゃみ性・嘔吐性ガス)が国際法の解釈上、
合法か否かです。もちろん『きい』(イペリット:糜爛性ガス)は問題外でアウトですねw。
いわゆる「合法論」は、●「『あか』は1925年のジュネーブ議定書で禁じられた
毒ガスには含まれない」とするものです。

それはさて置き、この「ジュネーブ議定書」は全文900字足らずのシンプルそのもので、
内容も極めて簡素なものだったと云います。

217:名無し三等兵
07/09/03 23:15:51
また終戦記念日前後に再放送するでしょう。今年も前年の戦争関連ドキュメンタリーをやっぱり流してたし。

218:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:29:16 HsRbQGi3
この「ジュネーブ議定書」の中で禁止対象とされるものは、

●「窒息性、毒性ガス、またはこれらに類するガス」とされるだけで、
十分に定義しているとは言えません。さらに「戦争手段の使用」と記され、
支那事変のような『グレーの紛争』に対してはこれまた定義が難しいw。

それも「先制使用」を禁じているだけで、毒ガスの開発や生産、保有については
何ら規制がありません。そして違反しているかどうかの検証や、違反への制裁も
規定されていません。要するに、●「毒ガスの先制使用の禁止をお互いに宣言し、
さらに他国へも参加を訴える」という内容でしかありませんでした。

日本はジュネーブ議定書に締約していませんでしたが、他国から例えばイギリスから
●「催涙ガスはジュネーブ議定書に含まれるか否か?」の照会を受けて、日本政府、
そして日本陸海軍ともに●「催涙ガスも『毒ガス』に含まれる」と回答しています。

219:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:36:16 HsRbQGi3
少なくとも1932年まではこの見解でしたが、支那事変後はそうも
いっていられません。結局、日本は「合法論」に転じまして、

>>「合法論」は、●「『あか』は1925年のジュネーブ議定書で禁じられた
>毒ガスには含まれない」とするものです。

となります。そして、

>>もちろん『きい』(イペリット:糜爛性ガス)は問題外でアウトですねw。

な訳ですw。日本は「ジュネーブ議定書」には加盟していませんでしたが、
それでも国際的な世間体というものがあります。自国に不利な宣伝材料を
わざわざ増やすのは損だと考えていたでしょう。

220:だつお
07/09/03 23:45:42 S1nXGtET
1945年5月の「シコウ作戦」は皇軍の敗退ではないか、との疑問に答えておく。

「ベルリンに赤いソ連国旗が揚がった後で、中国が達成できたのはそれだけ。」

日中戦争も第二次世界大戦の一部である以上、他の連合国とも比較されるべき。
大祖国戦争がナチに加えた鉄槌と比べ、中国抗日戦争はいかほどだったかと!!

221:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/03 23:46:34 HsRbQGi3
>>218 >>他国から例えばイギリスから●「催涙ガスはジュネーブ議定書に
>>含まれるか否か?」の照会を受けて

こんな感じです。1930年11月に幣原喜重郎外務大臣宛に出されたものです。

●「英国代表は、毒ガス禁止に関する1925年(ジュネーブ)議定書および
 第2読解案の解釈上、催涙ガスを含むか否かについて各国の意見を求めてきた。
 我が方としてはどのように回答すべきか、ご回訓を請う」

外務省を通じ、これに対して日本陸海軍は

●「毒ガス中には催涙ガスを含むものと解す」(陸軍省)
●「催涙剤は他の有毒ガスと同様に、軍用に使用できないものと解釈す」
  (海軍次官・小林躋造)

と回答しています。

222:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 00:07:44 yFiJ1QwP
さらに1932年1月23日(満州事変の翌年)、関東軍参謀長の三宅光治少将が
『催涙弾・くしゃみ弾』2500発の支給を求めてきたことがありました。これに
対する陸軍省の回答は『否』であり、その理由として

●毒ガスの使用は、国際的には禁止が約束されている。たとえ土匪の掃討といえども、
 正義を誇る日本軍隊が帝国外の地において、支那土匪に対して使用するのは国際法
 無視の謗りを免れない。とくに列国の同情を得ようとする支那は「大々的宣伝」に
 利用する可能性が高く、列国の反感を増長する恐れがある。

●毒ガスの使用は単に土匪に対してのみならず、良民に対しても一様に被害を
 与えるものであるから、帝国軍隊の標語とする良民の保護、土匪膺懲の主義に
 大きく反するものである。

実際に『支那事変』が拡大すると、こういった方針は吹っ飛んでしまう訳ですが、
まあ、戦争なんで華麗にスルーですw。また『きい』も使っている可能性が非常に
高いでしょう。

223:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 00:19:23
>>221 >>●「毒ガス中には催涙ガスを含むものと解す」(陸軍省)
>>●「催涙剤は他の有毒ガスと同様に、軍用に使用できないものと解釈す」

要するに『あか』は国際法違反にあたると言っている訳です。

>>218 >>さらに「戦争手段の使用」と記され、支那事変のような
>>『グレーの紛争』に対してはこれまた定義が難しいw。

要するに日支両国とも「宣戦布告」していないという意味です。

224:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 00:42:25

   .「^ヽ,ry'^i
   ,ゝ"´ ⌒`ヽ  
  くi Lノノハノ)」 
   λ[i ゚ ヮ゚ノi!  日本軍もそれなりに「世間体」というやつを気にしていたのよ。
   レ|Y(つ旦)   
   く_,//つつ

225:名無し三等兵
07/09/04 20:51:38 nt38Oktu
>>223
真珠湾奇襲直後に国民党から宣戦布告されなかった?
確か日独伊に対して宣戦布告したはず。日本はまだしもドイツ・イタリアとも交戦国となったわけだ。
それもドイツの対米宣戦布告よりも先駆けて先走る形で宣戦した。
真珠湾奇襲前日のイギリスのフィンランドに対する宣戦布告並に意味はなさそうだが……

226:名無し三等兵
07/09/04 21:09:31
60年以上も前に国際法に違反した。だから何?って感じだけどな。

227:名無し三等兵
07/09/04 21:21:46
原子爆弾に比べりゃ
蚤の屁みたいなもんw
だから何?

228:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/04 23:36:45
>>225 >>それもドイツの対米宣戦布告よりも先駆けて先走る形で宣戦した。

前テーマの『支那とドイツ軍事顧問団』で述べた通りです。もちろん>>223 は、
支那事変を指していますから1941年以前―太平洋戦争が始まる前です。

一応、自分の定義としては、「1937~1941年」→『支那事変』。そして
「1941~1945年」→『大東亜戦争』or『太平洋戦争+日中戦争』です。

>>226 >>60年以上も前に国際法に違反した。だから何?って感じだけどな。

いわば『殺虫剤』を撒いたような話です。

229:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 00:09:46 pW6ZrLHh
>>203 >>この點支那兵、殊に紅軍は一生を軍隊で送るので超古年次兵少からず、
>>軍事的專門技術は乏しくとも相応の工夫あり、侮れません。
>>彈丸が無いので狙撃に長ずるとか、生れ附き大貧民なので寒暑缺乏劣惡な環境に
>>耐へるとか、頭惡いのでくよくよ惱まない死地に陷つても氣附かず明るいとか、

支那事変勃発当時、国民党軍の兵力は約210万人でした。上海決戦や南京攻略戦、徐州会戦、
武漢攻略戦、広東攻略戦を終えた1938年末には90万人にまで数を減じたとされます。

ここから原隊復帰や補充兵を掻き集めて、太平洋戦争開始時には300万人にまで
大動員をかけましたが、その兵隊の質たるや惨憺たるものでした。このスレでもよく
取り上げる『蒋介石―マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』の著者・黄仁宇は
抗日戦当時、軍官学校を卒業して少尉となり排長(小隊長)でした。

戦後、この黄仁宇はアメリカの陸軍大学校に入学しますが、その授業で教官の1人から
●「第2次世界大戦におけるアメリカ陸軍の動員数が800万人であり、『人的資源の
底をさらった』」という言葉を聞いて、深く印象に残ったと云います。

230:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 00:17:46 pW6ZrLHh
>>229 >>『人的資源の底をさらった』」という言葉を聞いて、深く印象に残った

黄仁宇はその後、1987年に「第2回国際明代史研究会」に出席しまして

●「抗日戦争中の支那側の徴兵は『人間のクズにまで及んだ』」

と述べて「用語が不適切である」と周囲から強く批判されましたw。

231:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 00:37:43 pW6ZrLHh
しかし黄仁宇は、自著の中で以下のように主張します。

私は「人間をクズ」に喩えるつもりはなく、このような言葉を使う以外には
当時の困難な状況を表現できなかっただけである。もし「軍事上の人的な力」を
桶一杯の流動物に喩えたならば、国民党軍は確かに『その中の混じり合ったカス』を
抽出したのである―と。言い得て妙ですね。

要するに国民政府の「徴兵制度」に問題があった訳です。支那事変勃発の前年に
「兵役法」が公布されて大急ぎで実施されましたが、『徴兵免除』や『代理徴兵』
などの各種抜け穴があり、実際に徴兵の対象となったのは上からの圧力に抵抗できない
「農村社会の最下層」でした。

また金を出して「身代わり」が買われる場合でも、出来るだけ安い(当然『品質』が
悪い)人間ばかりが対象となって集められるため、その質たるや『劣悪』という言葉
でもまるで足りないでしょうw。

232:名無し三等兵
07/09/05 10:14:55
日本軍の重機関銃には6倍、軽機関銃には2.5倍の光学照準眼鏡が装着されていた。
貴重な弾薬を浪費しない為の知恵であった。
ところで欧米の機関銃には光学照準眼鏡が付いていないが、現代に至るも付いていない方
が多数ということは、付けない方がメリットがあるということになる。


233:名無し三等兵
07/09/05 10:20:56
もちっと調べから書くことをお勧めする。

234:名無し三等兵
07/09/05 10:44:29
兵隊の質が際限なく堕ちるのは、負け戦の典型だと思うぞ。

中国国民党でなくても、陥落前のベルリンとか、敗戦間際の満州国とか。
頭数だけ増やしても、士気も低いし訓練も行き届いてない。

235:名無し三等兵
07/09/05 20:24:14
今の自衛隊は・・・

236:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 23:29:05 pTmN10zN
>>229 >>黄仁宇は抗日戦当時、軍官学校を卒業して少尉となり排長(小隊長)でした

黄仁宇は「抗日戦」を振り返って、軍官学校で学んだことは大抵役に立たなかったと
云います。なぜなら現代の私たちが出来て当然のように思っている『共同作業』や
『団体精神』といった簡単な概念でさえ、小学校などでの幼い時からの基本教育に
よって初めて身につくものだからです。体育や運動会はその典型です。

生まれてから数十年間このような教育を受けず、字も知らない下層農民出身の兵を
率いるのは想像を絶します。黄仁宇はその後、参謀になりましたが多くの指揮官が
軍隊用語を捨て去ったと云います。「主攻」「側翼威脅」「火力網」「陽動」「逆襲」など、
兵達に理解させようとしても無駄だからです。例えば『捜索前進』(敵を捜索しつつ
前進する」とは言わずに、部下に対しては●『敵を見たらすぐ攻撃せよ』と言い含めて
いました。また地図に攻撃計画を書き込む時でさえ、●「敵がここから出て来たら、
我々はここに向って撃つ」といった具合ですw。

237:名無し三等兵
07/09/05 23:38:23
来週のNHK~その時歴史が動いた~広田弘毅かよ。
支那事変においての彼の振る舞いをスルーすれば軍部の圧力に何とか筋を通そうとした等々の美談で纏められるな。

238:名無し三等兵
07/09/05 23:42:10
NHKスペシャルで巣鴨での尋問を再現した番組では広田ちゃんたたかれ気味だったぞ
もちろんアメリカにって事だが

239:翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA
07/09/05 23:43:25 6je4BGV1
>>236
そういえば毛沢東が伝説の戦名人に戦のコツを尋ねた時は、
「(戦いなんて)囲めば勝てるよお~」とか
指南されたとかされなかったとか。
実際にあった話なんでしょうかしらね^^
(既出でしたらスミマセン・・・)

連日の更新お疲れ様です。

240:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/05 23:49:17 pTmN10zN
黄仁宇の部隊(第14師)は、農民出身の劣悪な補充兵の群れの中から
『突撃隊』を組織することで対策を取りました。すなわち通常の訓練に
耐えられる者だけを選別して、集中的に教育を行なうのです。

あくまで●「通常の訓練に耐えられる」ですよ。その選別から漏れた兵に
対しては、営(大隊)や連(中隊)単位でもっぱら『躾(しつけ)』を施す
のみに留めて、軍規を維持することに専念して弾薬を節約したのです。

『突撃隊』や『精兵』という言葉からは、何やら一般人からは超越した技能を
イメージさせます。しかし支那軍(国民党軍)の場合、『突撃隊』や『精兵』は
単に「普通の能力」を持っているだけの人間です。他は推して知るべきでしょう。

このような部隊は、攻撃時にはぞろぞろとくっついて夥しい死傷者を出し、退却する段に
なると、蜘蛛の子を散らすようにして我先に逃げ出します。在支アメリカ軍人の証言に
よると、「中国軍の攻撃は匍匐前進せずに棒立ちのまま行なわれ、何人かの小隊長は
日本軍の塹壕の手前1、2メートル手前まで接近したところで射殺された」と云います。

241:名無し三等兵
07/09/05 23:58:38
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
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? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なんだか無償にコピペしたくなる
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? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? なのに初心者にはコピペできない
? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
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242:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:05:58 1nKhHXsZ
さらに新兵であれ老兵であれ、支那の旧社会の習慣は変えることが出来ず、
各人の間には●「面子がある」「面子がない」の観念がところ構わず幅を
利かせていました。「権利と義務」の関係なんて問題外です。

士官同士、士官と下士官、下士官と兵士の間でも、軍隊内の階級に基づく
『服従と規律』よりも、個人的な恩恵や怨恨の関係が支配的でした。士官が
兵達の支持を得るには、まるで三国史の『英雄好漢』であるかの如く振舞う
必要があったと云います。

兵頭軍師は、陸戦のキルレートは●『一般兵の教育水準』が露骨に反映する
と述べられていますが、とどの詰まりそういうことです。団体行動もロクに
取れない部隊なんて、表現は良くないですが『知的障害者』の群れを率いる
ようなものですw。悪夢以外の何物でもありません。

現代の私たちは、マトモな初等教育を受けられたことを神に感謝するべき
でしょう。偶にそうでないっぽい人も見受けられますがw。きっと支那人です。

243:完全で瀟洒なメイド 十六夜咲夜 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:10:37
>>242 >>士官が兵達の支持を得るには、まるで三国史の『英雄好漢』で
>>あるかの如く振舞う必要があった

   ,.ィ ーrーr 、
  y' "´ ̄`'ヽ
  .ノくノノ人リ))ゝ
  ルi§゚ ヮ゚ノ§     「辻政信」なんて凄く適性がありそうねw。
   'k'_,i`ム'_i〈つ[|三>
   ,し'/_ハ.ゝ、
   `'ト_ノ'ト,ノ"

244:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:19:43
>>239 >>そういえば毛沢東が伝説の戦名人に戦のコツを尋ねた時は、
>>「(戦いなんて)囲めば勝てるよお~」とか指南されたとか
>>されなかったとか。実際にあった話なんでしょうかしらね^^

どうもでございます。どこかで聞いたことがある気もしますが、具体的な
書名などは覚えておりませんw。第一次国共内戦などを見ると、毛沢東が
それなりに「戦上手」だったことは事実で、この辺りは「極小テーマ」で
取り上げても良いかもしれません。

いくらロクすっぽ武器を持たない軽装備とはいえ、連日、部隊を走り
回らせて、国府軍への「側翼威脅」などを行なっていた訳ですから。

245:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 00:43:48 1nKhHXsZ
>>213 >>弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準って
>>どれくらい?

まず蒋介石にとっても「支那事変勃発」は早過ぎたということに注意して下さい。
過去のテーマで『上海航空決戦』や『支那とドイツ軍事顧問団』を取り扱いましたが、
抗日戦の準備を整えるために、最低もう2~3年は時間が欲しかったところでしょう。

>>231 >>支那事変勃発の前年に「兵役法」が公布されて大急ぎで実施されましたが、

これなど1936年の話です。そして日中戦争での「中国国民党の工業水準」ですが
問題は「沿岸部から内陸部にどの程度、疎開できたか」という点が大きいでしょう。

武漢攻略戦(1938年)が終わると、国民政府は重慶に引っ込まざるを得なくなり
ますが、内陸部にある工場は『支那全土の僅か6%』に過ぎません。そして肝心要の
発電量は●「4%」です。電気が無ければ、工場の多くは動きません。絶望的です。

246:名無し三等兵
07/09/06 00:56:30
日本陸軍はシナで負けてなどいない。単純に全方位から幾らでも敵が沸いて出てくるので圧殺されそうになっていただけ。
それこそイナゴのように発生するので自軍の三倍殺してもまだまだまだまだ敵が現れる

247:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 01:01:44
もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられたソ連が
どのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。しかし
自分は独ソ戦には詳しくありませんし、蒋介石もまたスターリンのような完全無欠な
独裁者では無かった訳ですw。

後日に続く。

248:名無し三等兵
07/09/06 20:52:37 10Ki4sAr
春秋戦国以来の伝統芸「人海戦術」しか戦術が無いからな・・・・

249:名無し三等兵
07/09/06 20:54:50 10Ki4sAr
春秋戦国時代の弓矢と槍と刀で戦った時代ですら簡単に「30万人が瞬時にしてせん滅される」それが
人海戦術だ。ま、ほとんど処刑で崖から突き落としたりしてるわけだが。

250:名無し三等兵
07/09/06 21:42:33 10Ki4sAr
馬賊・匪賊は国民党軍の動員兵よりもさらに弱そうだ。
というか奴らはただの野盗の大集団。「汚物は消毒だ~」で有名な某マンガの
モヒカンと変わらんな。

251:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:15:05 K/zs/2i7
>>247 の続き。>>支那全土に占める内陸部の●「工場は6%」●「発電量は4%」
>>213 >>弱小旧日本軍を相手にあの負け負けぶり、中国国民党の工業水準ってどれくらい?

1939年になるまで内陸部の各省の「1年間の鉄鋼生産量」は1200トンに過ぎません。
駆逐艦1隻にも足りません。その後は、国民政府・資源委員会の努力によってこの僅かな
生産量は10倍に増えましたが、1944年になっても1万トン余りに過ぎなかった訳です。
1年間に巡洋艦1隻造ったら全てオシマイですw。

ちなみに太平洋戦争前の日本の鉄鋼生産量が700万トン、イギリスが1200万トン、
アメリカが7500万トンです。やはり支那は絶望的なのです。

『電力の不足』は更に深刻で、当時の欧米人ジャーナリストは以下のように述べています。

「明らかであったのは、幾つかのうす暗い都市と政府経営の何百個もの小型工場に対する
 不十分な発電力が存在した以外は、自由中国は暗闇の中にあった。それは全く工業化
 されていない地域であった―」

252:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:21:20
>>自由中国は暗闇の中にあった。

電力事情は、今の北朝鮮を思う浮かべてもらうと手っ取り早いでしょうか。
「自由」でも何でもないですがw。

253:宵闇の妖怪 ルーミア ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:26:29
>>251 >>自由中国は暗闇の中にあった。

    ,. -ー- 、__
   ,'     'y´
   i レノノハノノ)  ~♪
 (( ハルi ゚ ヮ゚ノリ      そーなのかー
   と),)∞と) ))
   ,ノ::i:/:::!フ⊃
   `''i_ノ'´彡

254:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/06 23:38:41 K/zs/2i7
また更に、支那の兵器工場の『毎月の小銃弾生産量』が最大で1500万発
だったとも云われています。

これは当時の国民政府軍が300万人いたとすれば、兵士1人あたり5発に
過ぎません。1ヵ月に5発を撃ったらオシマイです。

無論これは支那の独力でという話で、諸外国からの援助や、実際は前線部隊に
集中して配備されたはずですから、そこまで極端でもなかったでしょう。しかし
このような極小な弾薬の備蓄量では、士気旺盛な指揮官がいても積極的な攻勢を
取ることは非常に困難で、軍隊としての攻撃精神は次第に消失していきました。

255:名無し三等兵
07/09/06 23:39:35
ま、自由なんてのは教育と物質両面で満足してる地域だけが享受するもんだ。
ヒダリマキに影響されてると数字は出せてもこの辺があやふや、
相手が支那だと色んな意味で必要なリソースも半端じゃない。
人口の大きさに圧倒されて誰もが忘れる点だな

『日中戦争下の日本』もまあそこそこ面白かったが、
慶應ボーイの限界からか、チャンコロを人間扱いしちゃって
結論は支那に物与えれば全部良くなるだもん、結論に飛躍しすぎ。

256:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:04:30 Fr9xE1Cg
>>247 >もし「国民政府の工業水準」を云うならば、独ソ戦の初期に追いまくられた
>>ソ連がどのように工業設備を内陸に疎開させたかが参考になるかもしれません。

『抗日戦争』中、愛国的な支那人の多くが、日本軍の占領地(沿岸部)から
重慶など内陸部へと大々的に移動したという『伝説』があります。

しかし実際に移動したのは、大部分が公務員や兵士、そのほか知識人・学生であり、
要するに●『生産者より消費者の方が多かった』訳です。

また肝心の「工場の疎開」ですが、当時、上海に存在した5000箇所以上の工場と
江南各地の工場を合わせても、内陸部に移動したのは200余りに過ぎませんでした。

また武漢地区から内陸部に移動したのは約150であり、広州から工場は全く移転
しませんでした。最終的に移動した工場は450に過ぎず、機材や物資は10万トン
前後でしか無かったのです―。

257:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:23:22 Fr9xE1Cg
そして内陸部に移動した工場も、大都市の人口に生活物資など「消費財」を
供給する事は出来ても、戦争に対する貢献は極めて少なかったと言えます。
軍需物資の自力生産は困難でした。

要するに、蒋介石は『独裁者』でも何でも無かった訳です。スターリンの様に
根こそぎ疎開させるような強権はとても発揮できませんでした。

蒋介石がどのくらい「独裁者でなかった」かと云うと、軍法会議なしで蒋介石が
独断で銃殺を命じると、身内から陰で批判されるぐらいですw。

まあ、しかしヒデキが「軍法会議なしで独断で銃殺を命じる」ことが出来ていたら
大問題ですので、それよりは独裁者だった訳ですw。ヒデキが出来た事はせいぜい
「戦死確定の激戦地送り」です。近いようで、この差は非常に大きい訳です。

258:白馬青牛
07/09/07 00:33:23 K85UfoMQ
>>222
長沙作戦で危機に陥って『きい』を使うたんは、仙台13D。
他に弘前36Dも『きい』を使用したんでしょう。
広島39Dは『あか』を使うとります。
>>236
適当に捕まえた農民を兵にした乱暴な徴兵はあるんですが、
中国でも地域によって兵卒の資質も違い、広西兵団が強剛なんも、
獰猛な気質と他省人を嫌う排他性による団結があったゆえで、
身体能力も小柄ですばしいっこく夜間も眼が効き訓練以前の兵士の
素質もあったでしょう。グルカ兵や高砂族やカチン族も同様です。
>>240-242
中国軍全てが匍匐前進をせんかった訳では無く、その文章は誤解を招き
ます。面子を軽く見ておられるようで、権利や義務を強調されますが、
日本でも東日本人に権利の概念が民俗的にあったんでしょうかね。
西日本なら自治意識もあったでしょうが、東日本人は村落の躾もなく、
売り飛ばされた先で躾を覚えるゆえ、知的障害者の群かどうか解りません
が、まともな教育もされてない人達は支那人よりも東日本人かも
知れません。
>>244
陸大の口頭試験でも、黒板に紅白のチョークが用意され、「敵に勝つには
どうするか」の問いに、受験者が黒板に紅で点を描き、そのぐるりを白で
円形に囲み「大軍をもって囲みます」と答えれば優秀じゃった云うんと
似とりますね。

259:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:46:34 Fr9xE1Cg
それにしても国民政府軍の「物資の欠乏」は深刻そのもので、先の『蒋介石
日記』の著者である黄仁宇が排長(第14師・小隊長)をしていたとき、
自分の小隊の兵士には歯ブラシも石鹸もタオルも何も無かったと云います。

そして小隊全員が1枚の布を洗面用に使っていたため、1人の兵士が目に炎症を
起こすと次の日には10人の兵士が感染していました。この辺りは、会社の便所の
手拭きで「1枚のタオルを全員が使い回す」のを想像してみて下さいw。

また黄仁宇の小隊では、便所はもちろん紙が無く、竹片や瓦のかけらを
チリ紙代わりにしていました。さらに靴下もなく兵士が自ら草履を編んで
いたのは言うまでも無いことです。

黄仁宇は当時を振り返って、●「先進国が戦時動員に際して、民間物資を欠乏
させてでも軍隊への供給は絶やさなかったという状況とは比較のしようがない」
と頭を掻いています。

260:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/07 00:49:31
>>257 >>ヒデキが出来た事はせいぜい「戦死確定の激戦地送り」です。

海軍が茶々を入れてきますからねw。

261:名無し三等兵
07/09/07 01:00:32
日中戦争は良く知らないのだが、戦標船の建造が本格化した昭和18年末に
飯河という造船士官が不足する工作機器の調達の為上海に飛んでる。
児玉機関の協力を借りて一週間ほどの間に市外、城内、郊外の20数箇所を回って
英独製の工作機械を1000件ほど買い付けた。
結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが悲しいところだ。
そんな話が講談α文庫の戦艦大和誕生下巻227ページ辺りに載ってる。

当時の大陸有数の沿岸の大都市で英独製の工作機械1000台オーダー、
まあ良質な分だけでもこれで全部とは思わないけど、同時期
あの日本本土ですら工作機械は100万台、性能の保証がある欧米製のものでも
20万台は固いと言われてる。
(余談だが昭和時代以降のものであれば部分的にはまともな機械の自制も可能だった
まあ一部は水準並でも全体では技術にムラがある航空機や艦艇を思い浮かべれば想像もつこうが)

恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。

262:名無し三等兵
07/09/07 01:09:26
>>260
うーん、「毎日」「ゴミ漁りに聞け」の話の事だろうが
南方のくだりを見てると海軍がやってたのは「おねだり」じゃないかと。
開戦に踏み切らす為の物動でのA→Bへの鋼材10万トン譲り、
海没、飢餓8割、玉砕1割、自活1割確定コース、正直笑えん。

263:名無し三等兵
07/09/08 01:47:19 dSYsoyVm
弓矢や槍しかなかった時代でもその気になれば数十万人を一瞬で殺害することは
実は可能である。
日本軍の実力を見くびるなと言いたいですね。

264:名無し三等兵
07/09/08 14:35:25
ベルリンにソ連国旗が揚がってるそのときでも、日本軍は未だ中国大陸沿岸
と満州を支配し続けていたのだから、日本軍はドイツ軍よりも強かったと思う。

265:名無し三等兵
07/09/08 14:37:26
だつお乙

266:名無し三等兵
07/09/08 18:25:24
地球環境のために最低一億とか書いてる時点で中佐もだつおと(ry
とは言え納得してる俺ガイル

267:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/09 22:56:11
仕事の時間帯がちょうど重なって『紅月ノ宴』に逝けなんだ…w。終わった後に
同人書店で「もう委託されていないかしらん?」と探すもの悲しさよw。でも
『少女幻葬』(後編)と夏の超時空要塞で買い逃した「ビタミンごはん」と「ふあん亭」
の新刊がゲットできて、ちょっとだけ幸福…。

268:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/09 23:18:44
>>261 >>結局海上輸送がダメになってて何一つ本土には届けられなかったってのが
>>悲しいところだ。

後で述べますが、支那にとっても交通の問題は深刻です。先に結論を言ってしまえば、
抗日戦争中、支那の工業がダメダメだった理由は「工場疎開の失敗・電力不足・交通の困難」
の3点です。

>>恐らく沿岸の工業都市にあるもの全てをかき集めても、良質な工作機械が
>>日本の10分の1もあったかどうか疑わしいな。

そういうのを根こそぎ内陸部に疎開できなかったのが、いかに蒋介石が独裁者で
なかったか、強権を発揮できなかったかの証左でもあります。上海から南京戦の
ドタバタでは無理かもしれませんが、武漢・広東攻略戦(1938年後半)辺りなら
状況は違うでしょう。逆に言えば、いかに蒋介石は『上海決戦』を勝つ気マンマンで
開始したかという事です。

269:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/09 23:57:39 jnp6Mi3g
>>262 >>うーん、「毎日」「ゴミ漁りに聞け」の話の事だろうが

>>257 >>ヒデキが出来た事はせいぜい「戦死確定の激戦地送り」です。
>>(それでも)海軍が茶々を入れてきますからねw。

ちょっと言葉足らずだったようで。自分が指したのは、毎日新聞社の新名丈夫
記者ですね(『竹槍事件』)。海軍に邪魔されるようでは、ヒデキも独裁者では
全然なかったなあ…w。

>>開戦に踏み切らす為の物動でのA→Bへの鋼材10万トン譲り、

何だったかなあ。「開戦に賛成してやるから、陸軍の割り当てから海軍に鋼材を
10万トン寄こせ」と言ったヤツでしたっけ? 記憶が曖昧でどの本で読んだか
直ぐに思い出せない……w。

270:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 00:05:43
>>262 >>南方のくだりを見てると海軍がやってたのは「おねだり」じゃないかと。
>>海没、飢餓8割、玉砕1割、自活1割確定コース、正直笑えん。

兵頭軍師がおっしゃられるように、「海軍への指導がキッチリ出来ていなかった
という意味で、あの戦争は陸軍の責任だろうよ」な訳ですw。

>>266 >>地球環境のために最低一億とか書いてる時点で中佐もだつおと(ry
>>とは言え納得してる俺ガイル

日本陸軍は「60年先の未来」を見据えていたんですよw。

271:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 00:24:36 jQZ2afMN
>>259 >>黄仁宇は当時を振り返って、●「先進国が戦時動員に際して、民間物資を欠乏
>>させてでも軍隊への供給は絶やさなかったという状況とは比較のしようがない」

さて、このような物質的な困難にあった国府軍ですが、黄仁宇によれば蒋介石が
与えた指示は、●「歯を食いしばって頑張れ」だけだったようです。要するに、

もしも騾馬がいないのなら、砲兵部隊の士官と兵士は自身の力で砲を運ぶのである。
もしも制服が支給されないのなら、破れた古い制服を繕えばよいのである。一着の
制服は、3~4年は着ることになっている。

満腹までには至らなくても、食べる飯には事欠かない。兵士が眼病を患えば、伝統的な
薬草を煎じる方法で治療する―。

272:名無し三等兵
07/09/10 00:33:37
モノが無くなったら結局は精神論か、原点回帰とでも言うべきか。
日本にはハナから精神論しか選択肢が無かったのは少し別の代物だが。

273:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
07/09/10 00:46:09
精神とか誠心とか清心には金がかからないのです。

274:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 00:52:10 jQZ2afMN
また独特なのは、「武器弾薬の不足」について述べた蒋介石の訓話です。

「もし弾丸が100発しかないときは、60発を訓練用に割り当てるべし」
というものです。そうすれば「残りの40発は実戦において百発百中となる
望みがある」とします。

同様に「手榴弾が2個あれば1個を爆発させてみて経験を得よ」でした。さらに
『前線補給』を挙げて、「日本軍の兵器や弾薬を鹵獲せよ」とまで言います。

何かもっともらしい事を言っているようで滅茶苦茶な論理です。全財産が
100万円しかない人に向かって「取りあえず60万円を練習で使ってみろ、
そうすれば残りの40万円はもっと有意義に使うことができる」と言って
いるようなものです(藁)。

黄仁宇は、「彼には弾薬が尽きようとしている部隊の、士気と人心に対する
考えが無い」と批判していますが、もっともなことでしょう。

275:名無し三等兵
07/09/10 21:10:01
ヒデキは憲兵隊を駆使して赤狩りしたり程の共産党が嫌い。ヒデキの共産党嫌いは
例の「共産党は世界の害虫」発言からもわかるように筋金入り。
首相の座を明け渡した後は「害虫駆除」の為に現役として中国に渡り、打通作戦を途中で中止してでも
(桂林とかイラン)西安と延安へ攻め込むべきであった。



ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いはどこから来るのだろう?
めちゃくちゃ弾圧したからな・・・・

276:名無し三等兵
07/09/10 22:29:49 pXVrbhrq

 盡忠報國
         長勇
 忠即盡命


277:名無し三等兵
07/09/10 23:05:40
ヒデキはねそんなに悪い子じゃないの

ただいるべき場所を間違えただけなの

278:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 23:34:29 ZsO/6qJG
>>275 >>ヒデキと憲兵隊は切っても切り離せない。だがヒデキの共産党嫌いは
>>どこから来るのだろう?

だつお氏ですか? まあ、関東軍憲兵隊司令官(1935~1936年)時代に
遡るのではないですかね。

ヒデキはそれまでの40年近い軍人生活で『憲兵畑』だけは無縁でした。まあ、
この辺りはヒデキだけが珍しい訳では全然ありませんけど。赴任して3週間程で
憲兵隊の職務を頭に叩き込むのですが、ヒデキの最初の感想は以下の通りでした。

●「陸軍省や参謀本部に集まってくる連中は、やはり優秀なんだなあ。あまり知らない
 世界(憲兵隊)に入ってみて、初めてそれがよく分かった。憲兵ときたら鈍重そのもの
 だし、何度も同じことを指示しなければ理解しない。それに帝国軍人としての自覚にも
 欠ける。『もう一度はじめから鍛え直さなければならない』」

279:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/10 23:54:45 ZsO/6qJG
>>278 >>『もう一度はじめから鍛え直さなければならない』

ヒデキは「近衛歩兵第3連隊中隊長」としても「歩兵第1連隊長」としても
非常に優秀でした。そのヒデキが関東軍憲兵隊を『もう一度はじめから鍛え
直さなければならない』と述べたのですから、その結果がどうなるかは火を
見るよりも明らかです―w。

さて言うまでもなく、軍隊内での「憲兵の地位」は非常に低いものがありました。
『憲兵は軍人ではない』とまで呼ばれる屈辱が、さらに憲兵のモチベーションを
屈折させていきました。

また憲兵自身の中にもそれを逆手に取って、●「憲兵は鈍重なのが良いのであり、
家の便器が茶の間や床の間にあっては困るのと同様に、憲兵も陽の当たらぬ所に
あるべきだ」とする自己弁護というかオナニズムというか、無難に小さくまとまろう
とする者も多くいました。これを『良識的』というかは意見が分かれるでしょう。
そして当然の事ながら、ヒデキは「こんなダラシのない憲兵はいらない」派ですw。

280:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:15:06 LvEn3v1h
カミソリ・ヒデキの信条は、●「帝国軍人は、与えられた己の職務を全うせよ」です。
憲兵が自分の職務に忠実であればある程、どのような状況が生まれるか?―それは
ヒデキにとっては思い浮かべるのにも値しないことでした。

こうして憲兵隊の精神面でのテコ入れをガンガン行なっていく訳ですが、ヒデキの
『構造改革』は「関東軍憲兵隊」の組織面にも及びます。

ヒデキが赴任した当時の関東憲兵隊司令官は、関東局警務部長も兼任し、満州国の
全警察権を一手に握る存在でした。さらに満州国民政部と鉄道警護隊を統制する
権限をも部分的にもっていました。

ヒデキの前任者たちである橋本虎之助、田代皖一郎、岩佐禄郎などは、こうした
関東憲兵隊司令官の権限を曖昧なものにしていました。あまり露骨にはっきり
させると、満州国の傀儡性が明確になってしまうからです。ところが、カミソリ
ヒデキには、この曖昧さが我慢なりません―w。日本領事館警察、関東局警察の
人事、予算の全てを関東憲兵隊の指揮下に入れなくてはならないとまで主張しました。

281:宵闇の妖怪 ルーミア ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:22:18
>>280 >>ところが、カミソリ・ヒデキには、この曖昧さが我慢なりません―w。
    ,. -ー- 、__
   ,'     'y´
   i レノノハノノ)
  ,..ハルi >ヮ<ノリ   でもそんなの関係ねえー!
  ヽ,).)∞_ハ,) 
  ,<::,ミ_:::!」 ミ
   ~ヽ_ヽ_)

     , -ー- ., ._,
   .,'     r'-,ゝ
   ((,(,ハ( (,J ~i´
   从>ヮ< iルハ.,   でもそんなの関係ねえー!
     (,ハ_∞( (,ノ
   .彡 L!::_彡!:>,
       (_,r'_,r'~

282:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:37:44 LvEn3v1h
●「満州国内の抗日運動を抑えるには『軍警一本化』こそ望ましい―」

ヒデキの主張に関東軍の参謀の多くは追随しますが、もちろん行政の関東局も
外交の領事館も抵抗します。するとヒデキは、ある抜け道を思いつきます―。

そもそも憲兵の本来の任務は、軍人直属の監督取締り、軍の安全を保持するのが任務
ですが、それを広義に解釈すれば、その活動対象は民間人にまで及びます。今までの
関東憲兵司令官はそれを知りつつも消極的でしたが、ヒデキは当然の事ながら違います。

「憲兵隊は軍だけでなく、満州国の治安を前面に立って守らなければならない。
(そのための)あらゆる命令は関東憲兵司令官から発せられる―」

と決定して、一方的に民間人の監視も行なうように命じました。それまで傀儡性を
薄めるために、わざと錯綜していた機構も強引に一元化します。ヒデキの名前が
満州国で畏敬と恐怖の念をもって語られるようになるまで、そう時間はかかり
ませんでした―。

283:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:52:48 LvEn3v1h
満州国の日本人官僚や関東軍参謀からは、頼もしい「実行肌の司令官」として
畏敬の目が―。

逆に満鉄や協和会、そして内地で社会主義運動に挫折して満州に新天地を
求めた知識人、いわゆる「アカ」からは恐怖の代名詞として―。

後者からは、ヒデキは秩序に名を借りた強権・強圧の張本人として憎まれました。
支那人からも極度に怖れられたことは言うまでもありません(続く)。

284:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
07/09/11 00:57:24
>>277 >>ヒデキはねそんなに悪い子じゃないの ただいるべき場所を間違えただけなの

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ
 くi Lノノハノ)」    
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    ヒデキはね、自分の仕事に熱心過ぎただけなのね。
  レ',ヘ.i`ム'」つ旦~   決して悪い子じゃないわ。
  ,く_,//T.iλ
  "ーr_,t_ァ'"

285:名無し三等兵
07/09/11 01:09:59
東条は近衛が自殺したのとは違い、死に損なったその散り際の悪さが彼に対する印象を極度に悪化させた。
陸軍省や関東軍での手腕や、政治的な評価とは別に、印象や人気というのは首相というポストにいるなら最も大切な要素の1つである。

逆に言えば、あれだけ期待をされて登場した近衛は首相在任時に中途半端な事しか出来なかった、その程度の政治家だったが
東条とは違い裁かれる前に自殺に成功したおかげで、東条と比較されるように印象は良くなった。
近衛が裁判で絞首刑に処せられていたら、文官の広田弘毅は死刑になる事は避けられただろう。

286:名無し三等兵
07/09/11 08:10:18
ヒロヒトが死刑になるべきだった

287:名無し三等兵
07/09/11 10:47:01
>>284
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)

288:名無し三等兵
07/09/11 14:40:22
サンフランシスコ講和体制というのは、A級戦犯14人に罪を負わせる代わりに、
天皇陛下と国民を免罪した。 簡単にいえば、敗戦国に本の戦後復興を国際的に支援するための
スキームをつくったのです。
田中角栄首相が日中国交回復をしたときの日中共同声明も、実は、サンフランシスコ講和体制の
スキームに乗っかっていて、その後の中国政府は、A級戦犯あるいは戦争指導者が悪かったのであって
日本国民は悪くなかったと言う説得を中国国民に行うことになりました。
わかりやすくいうと、これは日中双方にとって手打ちだったと思うんです。
手打ちということは、お互いが内容的に納得したと言うことではない。納得していない
かもしれないけど、とにかくそうすることに決めたと言うことです。

(略)でも何らかのかたちで、東京裁判は手打ちだったことを、国民全体にわかってもらわなくてはいけない。
処刑されたA級戦犯だけが悪かったはずがありません。他にも悪かった人はたくさんいたのです。
なのに、あえて罪をかぶってもらって、戦後復興の礎になってもらったのです。
そうした本当の事情を、影に日なたにコミュニケーションすることで、犠牲になった方々やその関係者
を納得させるような方向に、国民全体でもっていくべきでした。
政府は手打ちの当事者ですから、本当の事情を口にするわけにはいきません。
そのかわり、国民がするべきだったのです。国民の不手際です。
この不手際が時間が経つにつれて、だんだん大きくなってきているように思うのです。
二つ不手際がありました。一つは、A級戦犯が本当に悪かったのだと信じ込ませる
ようなコミュニケーションを、教育を中心として展開してしまいました。
これは人倫的に許されるはずがありません。どこの誰よりも戦争動員に向けて積極的に
旗を振った朝日新聞が、A級戦犯よりも悪くなかったなどと、誰が言えるのでしょうか。

(略)僕は靖国に祀られているA級戦犯の方たちに敬意を払う者の一人です。
彼等は作戦責任者や参謀として無能だったかもしれません。
でも広島の原爆で14万人、長崎の原爆で7万人、東京大空襲で10万人の
民間人の生命を奪ったアメリカの作戦責任者よりも悪かったなど、あり得ません。
(以下略)
「神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド 中国」 春秋社


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