17/06/23 20:12:21.09 cKo1cs/N0●.net BE:114013933-2BP(2000)
豊田真由子さんと私の関わり
(略)
春、無事に東大に受かって、卒業式も済み、東大入学式を前にした春休み。
当時大流行のディスコ「『ジュリアナ東京』に行こう!このタイミングが一番!」と、また二人で企てました。
「ソバージュパーマかける!ボディコン着る!もう学校の先生にも何も言われない!私たち自由だね!」
そして二人で繰り出して、ジュリアナに着く前に、繁華街で何か、全然関係ない取材をしているテレビ取材陣がいました。
街頭インタビューで、何か特定のテーマについて取材している人たちだったので、そのテーマに沿ったコメント以外は放送されないのに、
豊田さんがわざわざ「私たち東大に受かったんですけど!!!」とマイクに向かって発言していたので、
「もぉー、これは東大生の取材じゃないんだから意味ないでしょ」と、ぶつぶつぼやく私。
でも、そんな関係ない所で目立ちたいアピールする彼女のことも「面白い、子供みたいで可愛いじゃん」と笑っていた私でした。
ジュリアナに着いた私達、女子大生やOLのお姉さんたちに交じって、ドキドキしながら尻を振って踊りました。
この時は私の方がジュリアナで出会った男性と泊まりに行ってしまったので、豊田さんがその後どうしたか見てませんが、ちゃんと帰ったと思います。
結局私の方は親にばれたので、「そんな、知らない男と、ホテルに行って怖くないのか!?」と父親に真剣な顔で聞かれましたが
「うん、怖くない。」と答えた私でした。
今母親になった自分としては、自分の子がこのようになったらショックだと思うのですが、この男性依存、モラルのズレは、当時を振り返っても、
なかなか言葉で説明できないものがあります。
なにかとてつもなく大きなプレッシャーがかかって、その反動として「ハジけたい!」という思いの共有がありました。
その危なっかしさ、不安定さを共有していた豊田さんと私でした。
勉強はできるけれど、テストのための勉強は社会的な分別には結び付かず、いわゆる非行少年、不良少年といわれる人たちと、
共通する危なっかしさだったと思います。
こんなに一緒に無鉄砲な行動をしてきて「ほんとにほんとに、死ななくてよかったなあ」という気持ちがあります。
悩んで苦しんで、その悩みや苦しみから、必死に目をそむけるための行動をしていた・・・。途中まで、私達は同じ道を歩いていました。
私はそこから「ストレス解消しないと自分が壊れるから、東大を出て就職もしない、徹底的に自分を甘やかしてストレスの少ない人生を送る」と決めて、
逃げました。22歳でニートになったのです。
豊田さんは、そんな暴挙には出ず、けなげに努力し、社会的にも東大卒として好ましく思われる「国家公務員」の道を歩んで、順当に活躍していきました。
私に想像もできないほど、一生懸命頑張ったのです。
その後政治の道に進んだと聞いて、彼女の本意であれば喜ばしいことだと思いました。
でも、あの頃あんなに繊細に揺れ動いていた彼女が、今、ストレスの解消はちゃんと出来ているのだろうか・・・。幸せになれているのだろうか・・・。
ということが疑問・心配でした。
私がもはや、豊田さんの近くにいないので知る術がなく、ただただ遠くから、幸せでいてくれることを願っていました。
今、過去を振り返って、大切な友人として思う事。
「あまりに大変すぎる仕事を担わされて、中・高・大学の時とは比べ物にならない心の負荷がかかって、心が折れてしまったのだと思う。
これ以上続けられないというSOSだった。」
(続く)
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