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臆病者
壮烈な死を遂げた三島は、日頃「尚武の精神」とか「文武両道」を強調していたが、さほど勇気のある男ではなかった。彼が金箔付きの臆病者だったという証言がたくさんあるのである。
三島由紀夫は、林房雄との対談で学生時代に書いた遺書について大いに弁じている。昭和20年2月15日、軍隊への入隊命令を受けた時に彼が書き残した遺書は、以下のような文面になっている。
遺書 平岡公威
一、御父上様
御母上様
恩師清水先生ハジメ
學習院並二東京帝國大學
在學中薫陶ヲ受ケタル
諸先生方ノ
御鴻恩ヲ謝シ奉ル
一、學習院同級及諸先輩ノ
友情マタ忘ジ難キモノ有リ
諸子ノ光榮アル前途ヲ祈ルー
一、妹美津子、弟千之ハ兄ニ代リ
御父上、御母上二孝養ヲ尽シ
殊二千之ハ兄二続キ一日モ早ク
皇軍ノ貔貅(ひきゅう)トナリ
皇恩ノ万一二報ゼヨ
天皇陛下萬歳
末尾を「天皇陛下萬歳」で結んだこの遺書に関連して、三島は次のように語るのだ。
「それにしても、『天皇陛下万歳』と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。もう二度と来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、何だか、おそろしい幸福感で思い出すんです。
いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感はいったい何だったんだろうか。僕は少なくとも、戦争時代ほど自由だったことは、その後一度もありません」
三島のこの言葉に嘘はないかもしれない。実際、戦争中の彼は天皇のため、皇国のために、命を捨てる覚悟でいたのである。
しかし、三島は入隊前の身体検査で軍医が「この中に肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言ったときに、サッと手を挙げるのだ。彼は嘘をついて兵役を逃れた「入隊拒否者」だったのである。
この時の自身の振る舞いについて、彼は「仮面の告白」に次のように書いている。
「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか?
何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか?」
必死になって嘘をついたお陰で彼は、入隊を免除され帰宅を許された。
検査場の門を出るやいなや、三島は付き添ってきた父親と一緒に脱兎のごとく逃げ出した。「さっきの決定は取り消しだ」と言われはすまいかと、父親の表現によれば「逃げ足の早さでは脱獄囚にも劣らぬ」勢いで、一目散に駆けだしたのだ。
三島の恐怖症については、空襲警報が鳴り出すと真っ先に防空壕に逃げ込んだというような逸話があるし、あれほど作品の中で海を美しく書いた三島が、家族で海岸に出かけても海が怖くて泳ごうとしなかったという話にも現れている(夫人の談話)。
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