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URLリンク(zasshi.news.yahoo.co.jp)
7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」をたった1人で襲い、
死者19人、重軽傷者26人(7月28日現在)を数える大量殺戮事件を起こした植松聖容疑者(26)。
植松は小学校の図工の教師をしていた父親の影響か、 「幼少の頃から父親と同じ小学校の先生を目指していた」(近隣住民)というが、
夢だった教員の採用試験に合格することができなかった。
「小学校教師はハードルが高いから特別支援学校の教員を目指す」と友人に語っていた植松は、2012年12月、
事件の現場となった「やまゆり園」に非常勤として勤務。
だが、今年2月、植松は施設の同僚に「重度の障害者は生きていても仕方がない。安楽死させたほうがいい」と話し、
翌日、園長から問い詰められた。 「園長が発言の真意を問うと、“自分は間違っていない”と反論したそうです。
その場で自主退職が決まった」(施設関係者)
その直後、精神保健福祉法に基づく緊急措置入院の手続きが取られ、植松は強制入院。大麻の陽性反応が検出された。
施設を辞めた後は、日雇いの肉体労働に従事していたという。友人が語る。
「6月に彼と会った時、安倍首相のことを“尊敬している”と話していた。
学生時代は総理大臣の名前さえ知らなかったサト君が、政治的な発言をしたことで驚いた。
さらに“政治団体を作りたい。俺がリーダーになって日本を良くする”とまでいっていた」
一時は小学校教員の夢に代わって、彫り師になることが植松の人生の目標になっていたというが、
師匠だった彫り師に“障害者を皆殺しにすべきです”と告白したことで破門になった。
人生の転落と軌を一にして、急速に「殺人思想」を膨らませていった背景に何があるのか。
新潟青陵大学の碓井真史教授(心理学)が語る。 「小学校教員になる夢が破れ、彫り師への道も一方的に断たれてしまったことで、
植松容疑者は深い挫折と喪失感を抱えたのでしょう。 “革命”や“フリーメイソン”の話など、もともと妄想性障害の気質があったため、
傷ついた自尊心を回復する手段として、殺人肯定の考えに傾倒していったと考えられます。
それが危険な思想から行動に飛躍した理由は、植松容疑者の歪んだ自意識なのかもしれません」
事件当日の夕刻、植松の父親を直撃すると、力なくこう答えるのみだった。
「私どももまだ(事件の)詳しいことは何も聞いていない状態ですから、いま話せることは何もありません……」