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>>426
「京成津田沼駅」交差点から「京成津田沼駅入口」へと延びる商店街を「ワイがや通り」と称している。
この通り名は、郷土の歴史も伝統も感じさせず希薄な感じがすると不評で、周辺の住民もあまりこの通り名を使う者もいないようだが、
実は、この「ワイがや通り」が「わいわい天王」に由来していることは地元でもそれほど知られていない。
近世風俗史の基本文献とされる「守貞謾稿」から“わいわい天王”について書かれた箇所を見てみよう。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
わいわい天王
わいわい天王 ある人云く、江戸大略文政前、貧巫(ひんぷ)すなはち神道者の所行ならん。
その扮、猿田彦の仮面を着け、古き黒定紋付羽織、ならびに袴をはき、麁(そ)なる両刀を佩きたり。
その詞に、わいわい天王さわぐがおすき、云々。衆童追行のとき、紅摺りの牛頭(ごず)天王小牌(こふだ)を散らす。
紙牌なり。しかる后、毎戸に一銭を乞ふなり。この行、京坂になきなり。
臨済宗の高僧であった白隠も「わいわい天王」を題材にいくつかの絵を遺している。
URLリンク(www.myoshin-zen-c.jp)
明治維新の神仏分離令で、牛頭天王という仏教的な神名は廃止されて、
久々田の牛頭天王宮も八坂神社という社号を称するようになったが、
江戸時代の石鳥居に架かる石額には「牛頭天王宮」の宮号を見ることができる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「ワイがや通り」は、「わいわい天王通り」、もしくは「わいわい天王ヶ谷通り」と改称し、
丑の日には歩道に出店を並べてご縁日を似賑わわせるなどして、
八坂神社との結びつきを強めていくのがこの街にとって賢明なことかと思う。