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アメリカ人が見た戦後の在日朝鮮人
戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。 数においては大いに減ったもの、
朝鮮人は依然として口喧しい、感情的・徒労的 集団である。彼らは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとはせず、かえって戦勝
国民の仲間入りをしようとした。朝鮮人は一般に日本の法律は彼らに適用され得ないものとしてアメリカ占領軍の指令も
同じようにほとんど意に介しなかった。
そのため国内に非常な混乱をおこした。占領当初の数ヶ月、在日朝鮮人炭鉱労働者の
頑強な反抗のために日本の重要産業たる石炭産業の再建は損害をこうむった。
経済的領域における朝鮮人のいろいろな活動は、日本経済再建への努力をたびたび阻害した。
1948年の神戸における緊急事態宣言は、日本の教育改革を朝鮮人が妨害した結果、
行われたものである。引き上げについては占領当局が決定した政策を日本政府の手で実地しようとするのを妨害した。
たとえこのような事件(朝鮮人の犯罪)で朝鮮人の犯罪性が拡大されることがなかったとしても、この犯罪性が日本人・朝鮮人の関係に
与えた影響は依然として甚大なるものがある。朝鮮人の略奪行為が、大部分、下層民の日常生活にとってきわめて
重要な地域において行われたということもあった。
さらに朝鮮人は日本に不法に入国しようとしたが、ときには伝染病も持ち込んだという事情もあって、この不安を強める実例を提供した。
朝鮮人は悪者だという心理が時の流れとともに日本人の心から薄れていくであろうと信ずべき理由はなにもないのである。
ハーバード大学教授 エドワード・ワーグナー(朝鮮史)