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『声闘』(ソント)
正確な考証はいっさい抜き、大声で早口で居丈高に相手が発言する隙を無くした方が勝ちという韓国の異常な風習である。
勢いよく論敵を罵倒した方が勝ちなのだから、細かい論証や確固とした証拠など必要無い。
口先だけの詭弁ばかりが発達して中身はどんどん薄くなる。
日本人の悪口
日本では罵倒は通用しないし必要はなかった。
例えばあんたは「馬鹿! 馬鹿!」と感情的に連呼されるのと
「私とは話が合いそうにもないので、もっと低質な人を相手にして自尊心を満足させていてください」と
冷静に言われるのと、どっちが不快だろうか?
日本人は既存の単語を使った構成の妙で皮肉を言う。これは平安時代の短歌や俳句などからの習慣である。
単純に悪口を言われても相手の方も同じレベルと思えるが、皮肉だと自分が見下されているような印象を与える。
日本文化では、罵倒にも華麗さと教養の高さを要求されたという事である。
これは貴族社会時代の習慣を、武家社会の厳しい法律が濾過した結果かも知れない。
日本では単純な罵倒は程度も教養も低い者のすることだと軽蔑される傾向にある。
短歌や俳句などの難度の高い方法で華麗に迂遠に罵倒した方の勝ちなのだ。
それが討論習慣における決定的な違いであり、ここに至った過程の結晶である。
朝鮮では人治主義により即興的で感情的な言いくるめが討論の手法になり、
日本では法治主義により根拠と証拠の提出による客観的な証明が重視された。
また朝鮮ではとにかく殺す、先に言論弾圧しておくことが習慣になり、調査は後回しというのが習慣であった。
対して日本では、法律に則って証拠や根拠が有って初めて刑が執行された。
もちろん近代法や国際常識に近いのは日本の方である。
韓国人と日本人の習慣はこれだけ違うのである。
韓国人の方式で討論すると、日本的な良心など都合良く利用されるだけである。
きちんと相手に合った対応をしておかなければならない。
「声闘(ソント)」
朝鮮にあっては、法律と言うのは関係がなかった。
兎に角裁判になった場合は、大きな声で相手が何も言えないまでにひたすら発言をしまくる。
これを声闘(ソント)と呼ぶ。内容がオウム返しであろうと、罵倒や嘘八百だろうと、
レッテル貼りや人格攻撃、関係のない親類縁者への悪口、嘘泣きなども総動員し、
相手が何も言えなくなれば、こちらの勝利である。
相手は死刑になるので、もし後で相手が正しくても関係無い。
真実などという証明に時間の掛かるものには、何の価値もないのだ。
彼らが執り行う論争や裁判では真相はまったく明らかにならないばかりか、
論理のすり替えが多発し、論議が一歩も進まないのがその特徴である。
その場で勝ちさえすればよいのだ。証拠や論理はもはや意味を持たない。
感情を露にし、自分は被害者であると相手より大きな声で主張し、その場を言いくるめればそいつの勝ち。
こんな出鱈目な裁判が、朝鮮の裁判である。だから今の韓国人も大声でひたすら自分の主張を繰り返し、
相手が何も言えないまでにマシンガンのように喋りつづけ、そして勝手に勝利宣言をして去っていく。
敗北は即死刑であったので、負ける訳には絶対にいかない。現代でも負けは一族の迫害を意味する。
だから韓国人は絶対に自分の非を認めない。この風習は、この声闘(ソント)からきているのだ。