愛知県被差別部落⑫at RIGHTS愛知県被差別部落⑫ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト104:名無しさん@お腹いっぱい。 10/01/21 19:38:15 9aZcOm/T0 愛知のこの種のスレ、史実あまり出ないね。 甚目寺のうんぬんは 何を職業としてたか? 太鼓や馬具、鎧、皮靴(馬具の一種かな)であれば、武家御用達の武具職人。 金物であれば、刀、鎧等、武家御用達の職人。 何もなければ、歌舞伎(河原もん)や村役人(百姓の足抜け見張り番・・・庄屋がかねてた地がほとんどだが・・新田等) あまりにも、いいかげんな発言が多い。 人権教育はまず歴史からが常道だ愛知県の教育委員会や郷土の歴史家たちは、何をしてるの。 また、解同も明治以降の差別ばかり唱えないで、江戸期前の史実調査したらいかがか。 (所によっては、下級武士で非道な年貢の取り立て屋)・・・今の人にゃ関係ない差別の源泉 たとえば、信長の宗教弾圧による数十万の死亡者の末裔と、スケートの信長末裔の織田君。 105:名無しさん@お腹いっぱい。 10/01/21 19:47:13 9aZcOm/T0 他県のスレから 私は工芸専門の学校を出て、皮屋になりました。 今はその人の足型に合わせて作る靴の職人をしていますけど、工芸を学んだのでいろいろな加工ができます。 以前はここにもたくさんの皮職人がいましたが、今は私だけになりました。 TS町には、四〇軒ほどの家がありますが、高齢者ばっかりで、若い者はほとんどおりません。 私の実家は高岡なのですが、加賀藩ができる頃に、そのときの大名に呼ばれて、滋賀県の近江八幡から呼ばれてきたと伝えられています。 だから成り立ちは四〇〇年ほど前になりますか。 当時の武士たちの道具に革がよく使われたので、その職人として迎えられたのだと聞いています。 太平洋戦争のときも、兵隊の軍靴に使ったりするので、よく革が出ました。戦のときに革が重宝されるのは、今も昔も同じです。 親父も高岡で皮屋をしていました。親父の時代までは猫皮で三味線も作っていました。 だから今もこの辺りに残る太鼓屋は親戚すじです。 昔はサイボシも食べてました。昔のサイボシはとてもかたくて、木づちで叩いたり、炙ったりしてやわらかくしてから食べたものです。 今はもう、他県の部落とは交流がないので手に入りません。そのなを聞くのは懐かしいです。 ここTS町に来たのは、母の実家がここにあり、付き合いがあったので引っ越してきたのです。 だから高岡の方が詳しくて、ここのことはそれほどよく 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch