09/09/25 21:08:05 tuax0IEi0
先に、近鉄烏森駅から一宮市につながる幅数百メートルの「震災の帯」と呼ばれる堆積地帯は、
数年前に発見されたばかりだが、江戸時代の地図を見ると、奇怪なことに、烏森集落東から
黄金通・西枇杷島町・一宮に至る帯の範囲に、人家集落が非常に少ないのである。まるで
震災の帯を避けて集落が構成されているようだ。
ついでに言えば、烏森という地名は、鈴ガ森と同じで、カラスの森という意味であって、
こうした地名の由来は処刑場であったケースが多い。特徴は、その側に必ず未解放部落が
存在することだ。江戸期の風水で言えば、「城の南西に不浄を置く」という意味があること
から、処刑場の記録は見あたらないものの、ちょうど該当する位置にある。
また近くの「万場」という地名も「よろずば」の意味で、これも不浄、つまり死牛馬の
解体場、処刑場のことであった可能性がある。隣接する甚目寺町は、そうした業務に関連
する、毛皮や肥料などの産業が今も継続している。こうした記述は、住民から歓迎されない
ので公開されない場合が多いが、未解放部落問題との関連で避けて通ることはできない
と考え、あえて記すことにした。