【藤内】富山県の部落問題2at RIGHTS
【藤内】富山県の部落問題2 - 暇つぶし2ch65:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/20 18:05:56 yTd2i/0A0
滑川市L町部落は、すでに大正時代に混住の進行にともなうさまざまな差別事件が頻発したところ。
L町は、明治維新後の地券発行のさいに、「L町飛地」という地名になった。藩政期には、「L河原の者共」などと称せられていた。
全国水平社が創立され(1922年)、全国各地で活発に運動が展開されるにおよび、町当局は被差別部落L飛地町を、「L町」に編入した。懐柔策である。
L町に編入された結果、部落側では神社の祭礼や徴兵検査・入隊などの行事、青年団の運営を、公平・平等におこなうように要求した。
そうしたあたり前の姿勢が、非部落側とのあつれきを増加させたのであった。
そのなかで1933(大正12)年、部落民児童が小学校で差別発言をうけた事件をきっかけに、部落側では糾弾闘争を開始した。
そして、県・郡・学校の問題とさせ、問題の解決を迫った。
その結果、町長、警察署長、町内有志が調停に入り、数項目の解決条件をつけて「妥協」した事件がある。

この差別事件がきっかけとなって、L町には翌1924(大正13)年、県から「部落改善費」補助金400円が交付され、部落内の道路が改修されたのである。
富山県は水平社こそ組織されなかったが、全国水平社の創立が影響を与えたたたかいのひとつであった、といってよい。他にも様々な動きがあったと考える。


新版 部落史を歩く‐非人系部落の研究(亜紀書房)
本田 豊(著)


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