09/09/30 22:59:22 z9onrE7j0
中世の武士は、威ある明王として馬頭観音をあがめていたが、
江戸時代には仏教を民衆に広げる動きが起こり、
馬頭観音信仰も徐々に浸透していった。
当時の馬頭観音信仰は、近世後期のそれとは異なり、
仏教の教義から生まれたもので、
念仏講仲間が自らの後世の安楽を祈って建てたものである。
江戸も中期を過ぎると馬頭観音は、日常生活で馬を守る観音様であり、
死後はその菩提(ぼだい)を弔う観音様であると考えられるようになった。
農民や馬の仲買人たちは、倒れた馬を埋めた場所や道の辻に、
馬の霊を慰める馬頭観音を建てた。
そして今の時代まで馬頭観音は至る所で普通に信仰され続けている。
つまり、馬頭観音所在地=被差別部落ではない。
辻の馬頭観音がビンゴというのは間違い(都市伝説)。