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戦後の密航
産経新聞 昭和25年(1950年)6月28日(水)付朝刊
◆「密航4ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」
朝鮮南北戦争の拡大によって憂慮されることは、南鮮避難民の日本への殺到だ。終戦以
来、“悩みのタネ”となっているこの密入国は、今次の戦乱で明日にでも、どっと押寄せ
てくる危険がある。目下、政府は緊急対策をねっているが、今ここに“日本密航への途”
を衝き、その実態を明らかにしてみよう。
密入国および不法入国は近来、職業的な密輸密航に変り、手口も巧妙となり、取締法規
の盲点をつく知能犯的性格をおびてきている。密航のルートには現在、大別して次の4つ
がある。
1、 歴史的、地理的に朝鮮と特殊関係にある対馬は、絶好の中継基地で、釜山から30
浬、壱岐から40浬、平戸から53浬の地点にあり、西北端北緯40度、東経135度から西
南海上に北緯34度、東経127度40分に“マッカーサー・ライン”が引かれているが、そ
の最も近接地点である棹崎はマ・ラインから僅かに1000米。韓国船舶は自由に航行し、
潜入できる。ここへ上陸すると今度は遭難をよそおって福岡付近に漂着。地方自治体官公
吏などを恐喝或いは買収して入国するのがこれまでの例だ。
2、 ウラジオストックから出て、リマン海流に乗って隠岐、佐渡から警備の薄い島根、
新潟、山形方面へもぐりこむ。このルートは別名徳田ラインとも呼ばれ、政治的目的を持
ったものが大半だという。