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伝承によるとかむろ坂の名称は、歌舞伎や浄瑠璃の題目として有名な白井権八
伝説に絡むものである。 江戸前期の浪人・平井権八が辻斬り強盗の罪で延宝7
年(1679年)に鈴ケ森刑場において処刑され、目黒区下目黒三丁目付近にあっ
た東晶寺に葬られた。江戸において恋仲となっていた吉原の三浦屋の遊女・小
紫は、権八の処刑の報を聞いて店を抜け出し、東晶寺に向かい墓前で悲しみの
あまり自ら命を絶った。帰らない小紫を心配した三浦屋の下女であった「かむ
ろ」が東晶寺へと向かい、小紫の死を知った。その帰り道に当地の付近で襲わ
れそうになり、桐ケ谷二つ池に飛び込み自害した。これを偲んでかむろ坂の名
称がついたという。