09/06/22 01:44:35 6CE5ZdRe0
ここで藤沢レポ(研究集会報告)に触れるが、
彼は「明治以降の資本主義の発展、変遷のなかで、一部の地区は巨大化し、大きな都市部落をなすにいたった」と述べ、
しかも「これら都市部落がこんにちのような500~数千戸に拡大してきた経過はさまざま・・・・・・」(太字は引用者)と、
現在形で大都市部落の都内での現存を主張する。
そして、「I地区(台東)、M地区(荒川)、K地区(墨田)、U地区(足立)や、南部にあるN地区(大田)、M地区(品川)、O地区(品川)、
さらには、西部にあるN地区(練馬)、H地区(杉並)などが代表的な例」だという。
明治以降の歴史的形態のとらえ方の誤りはここでは究明しないが、右の大都市部落の「代表的例」を検討する。
藤沢氏はMとかUとか暗号みたいなことを言わないで、ハッキリ地名を言うべきである。
地名を避けたのは、人権上の問題への配慮ではない。