09/06/01 15:59:07 DXeuSZSk0
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行願寺(革堂) (ぎょうがんじ(こうどう
天台宗延暦寺派 霊?山(れいゆうざん)行願寺 本尊:千手観音菩薩
・西国三十三所観音霊場第19番札所・洛陽三十三所観音霊場第4番札所・都七福神巡り(寿老人)
寺伝によると、開山の行円上人はもと猟師。山中で射止めた雌シカの腹から
子ジカが生まれたのを見て、殺生を悔い仏門に入った上人は、諸国の霊山を
修業して京都に来往し、平安中期の寛弘元年(1004) 、一条小川(上京区)
あたりで一宇を設け千手観音菩薩を安置したのが行願寺の起源。
一条小川にあったことから「一条北辺堂」と呼ばれていたという。行円は布教の
とき寒さ暑さを問わず常にシカ革の衣を着ていたことから、人々が革聖(かわのひじり)
とか皮上人と呼んだことから一条北辺堂(現在は中京区)を革堂と呼んだのが通称
革堂の由来。夏冬となく皮を着ていたことについては、殺された鹿に無常を感じて
肌身離さなかったという説がある。
革堂は上京の町衆の信仰を集め、室町時代には町衆の連帯の町堂となった。
下京の六角堂(頂法寺)に対して上京町衆の集結の場。これらの二つの町堂では、
町の合議機関としての意思決定会議も開かれている。兵乱や一揆、天災などの
有事の際には鐘を鳴らして町中へ有事を知らせたという。
天正18年(1590)、秀吉の都市整理によって寺町荒神口(上京区)へ寺地を移し、
次いで宝永5年(1815)に現在の地(中京区)に移った。
伝統のある寺にちなむ地名もバカにかかれば、この扱い。