09/12/01 21:21:39 3GtEqqw00
在日集落の消滅とともに地方に移られた家族と再会したのは昭和53年頃だった。
私も幾度も引越しをしたので連絡が取れずじまいだったが、知人から所在を知らされ
久しぶりになじみの朝鮮料理店で、家族同士で会食をしたが、そのときの話は極力、
正確に記したい。その家族は、戦前からの知り合いの日本人のかたが郷里に帰り農業
従事されていたのがきっかけで、田舎なら住むところには困らないからと借家を紹介
されて引越しされた。仕事は製材だった。地方では地主さんや、行政に意見を言える
資産家をダンナ衆と称するそうだが、消防の集まりのあとの宴会の席でダンナ衆から
つぎのように言われたそうだ。「2里ほど奥の在の衆は犬を食うが、あんたはゆかりが
あるのか。それに女は嫁したらその家に入るもので、朝鮮人は夫婦が別の姓を名乗るが
それは日本の美俗に反する。」むろん、その在の住人は日本人であるが、日本のなかに
も何か問題めいたものがあるのだと知ったそうだ。また、昭和39年当時からその地方
では神隠しの噂もあり、知らない人に捕まり、知らない国へ連れて行かれるという話も
聞いたとのこと。ラジオも日本の放送より韓国や朝鮮の放送がよく聞こえる地域なので
そのような話になるのだろうとも言っていた。それが原因で、その家族はまた都市部へ
戻って来たそうだ。私はそのとき何を思っていたかというと、日本の白丁とはいかなる
ものか?日本の美俗が創氏改名の根拠か?ではなく、ピョンヤン放送に興味を持った。
昔、自作の管球ラジオで朝鮮中央放送を受信したときは、ウェーブが多く日本語放送は
何時からなのかわからなかったが、昭和53年当時は、かなり高性能の受信機が売られて
いたので、その後さっそく買い込み、ワンパターンな日本語放送より、深夜になると放送
される数字だけを延々と話す放送のほうが面白くて、数字をメモし、数字が文節を表し
法則性があることを勝手に判断していた。今から13年前まで聞いていたが、受信機が故障
してからは聞いていない。最後に聞いたのは、「力道山物語」だったが、力道山のお墓に
行く電車の始発ホームには、当時は力道山のお墓の案内看板があったが、放送後、看板が撤去
されたのは偶然なのかは不明だ。