09/12/30 22:51:31 uFoCA4Bx0
>>435
その後、紆余曲折はありましたが、「解放会館はみんなのもの」という正義と道理ある
私たちの主張とたたかいは公正使用の扉を次々と開いていきました。九五年以降、全
解連は「行政手続き法」を活用し、行政運営における公正・公平性の確保、透明性の向
上、行政の意思決定の内容・過程の公開、この三つの目的を生かした運動を展開し、
いっきに運動を前進させました。西成(二五年ぶり)、浪速・蛇草(二六年ぶり)、富田
林(二七年ぶり)、高槻、貝塚、泉南、寝屋川、泉佐野、荒本…と全解連名での使用を
実現しました。九六年には申し込めば使えるという状況を作り出すに至りました。そして、
九八年六月七日、部落解放研究・解放センター(いまの大阪人権センター)で府連大会
を開催、マスコミも注目して報道しました。