09/12/29 14:47:23 Awurwugh0
>>411
日韓併合への道
・ 1899年(明治32年)
フランスは広州湾を99年間租借、ロシアは関東州を設置-諸国の清国侵出が重なった。
・ 1900年 義和団事件 フランス宣教師殺害。日英米露仏伊が軍事出動し鎮圧。
露は制圧後も満州に4000名の兵を駐留させ事実上占領を続けた。
日本は日英同盟を、露は仏と同盟を結び南進に備えていた。その間シベリア鉄道完成、南進に向かって万全の態勢が整った。
日本は露の満州からの撤兵を、露は39度線で韓国を分割し統治を提案してきたが相互に拒否。遂に露が満州の占領を宣言するに至った。
・ 1904年(明治37年2月8日) 日露戦争勃発
露国の南下政策と朝鮮支配権をめぐり日本軍仁川上陸、旅順港で露艦攻撃
韓国は中立宣言していたが無視、日本軍勝利、漢城(ソウル)からロシアを追い出す。駐兵と土地利用権を取得。
(旅順、203高地で155日間の戦い。乃木希典大将、水師営でのステッセル会談。 明治38年、東郷元帥日本海海戦にてバルチック艦隊を撃破、大勝利。)
日露ポーツマス条約で露から韓国における政治、軍事、経済の特権を受け継ぐ。遼東半島の租借。樺太の南半分を領有した)
・ 同年2月 日韓議定書調印
(1).侵略、内乱に対し日本軍への便宜供与
(2).韓国の独立、領土保全を保障
(3).日本の承認なしに第3国と条約締結をしない
日本は韓国の保護国化について、米がフイリッピンを支配することと相互承認した。
第1次日韓協約で財政顧問、外交顧問の受け入れを約束させ、
第2次日韓協約で日本外務省が実質的に外交を行なうことと、日本代表部として統監をおくことを取り決めた。
第3次日韓協約で統監の権限と日本人顧問を廃止し、韓国政府の各部の次官に日本人の任命を決めた。
・ 1905年(明治38年)日韓協定 韓国を日本の保護国とした。