09/01/26 22:21:42 iML/B8B+0
市営同和ハイムについて。
最初にそれを知ったのは知り合いの市の元役人2人から聞きました。
H地区の2丁目を指してここの住人(=解放同盟)が市に圧力をかけて市営団地を建てさせたのだ、と。
私は単に人から聞いただけでは情報を信じませんので裏付け調査をしました。
同和ハイムが新築されたのは昭和62年。この年のゼンリンの巻末ページで名前がフルネーム出ている人を
入居前つまり昭和60年あたりの電話帳で住所を見ると確かに2丁目から来ている人が多い。
しかも2丁目からまんべんなく来ているかというとそうでもなく、一部のエリアにかたよっている。
いつも私はポンプ場と書いてますが、これが一番わかりやすいからそう書きましたけど、
もっと正確には”H 2丁目公園”に隣接した数軒が同和ハイムに移転しました。
公園隣接の一部の人たちが解同関係者なのは分かりますが、といっても2丁目はかなり広いので
後年になってよそから知らずに入ってきた人たちのほうが多かろうと思われます。
2丁目だけではなく、あとはロータリーを挟んだ向こう側からも数軒来てます。
だからといって、上のほうでも書きましたが、向こう側の●●ワが部落というわけではないと思う。
解同の推薦さえあればどこに住んでいようと入居可能ですから。
市は推薦をうのみにして入居基準など調査しません。
それと同和棟は3棟あるうちの1棟(25室)だけで、他2棟は一般です。
集会所が2つある理由が分かりますね。家賃いくらなのか知りたいところです。