09/05/06 02:09:55 w3mzBNd00
>>528の3番目
金沢区の場合、落ち武者がどうやら起源らしい、長吏小頭もいたことは知られていますが、
それが後年差別化にいたる過程を述べた資料をみたことがありません。
横須賀にも平家の落ち武者部落がありますが(AKY)、べつに被差別部落にならなかった。
落ち武者が部落と関連するかどうかは地域差がある思う。
しかし実際金沢区では明治にはいっても差別が残った。
部落を学区に抱えた三分小学校(侍従川沿い高橋のたもとにあった)の校長平田恒吉氏が部落差別を憂慮し、
融和のために旧藩主米倉家の子女と部落民の子を一緒の机に並べた、という逸話があります。
部落の児童は学校でも差別をうけるので就学率が低く、平田氏が地区に出かけて出席を勧誘するための保護者会を開くが、
ただの説教では人が集まらないので、当時珍しかった蓄音器を持参したという。明治44年のことです。
平田氏の教え受け継いだのが長島重三郎という人物。
大正15年金沢区に青和会が発足すると支部長となり融和運動の中心的役割を担った。
青和会も戦時色が濃くなるにつれて開店休業状態となり活動もストップ、戦後30年間県内全域まったく空洞期間にはいる。
そんでもってようやく昭和49年に神解連が、昭和57年に解放同盟が金沢区におでましとなり、現在にいたります。
4番目
藤野氏の神奈川の部落本は一応参考になりますよ。神奈川の基本を知るにはよいと思います。