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金沢区の部落を簡単にまとめると、豊臣家の武将3人が大阪夏の陣で敗れ落ち武者となり、
区内を転々としながら打倒江戸幕府の時期を待つうち、3人のうち2人がKMRYに住みつき、のちに現在地へ移住。
彼らは子孫にも恵まれ金沢藩米倉氏の藩政にも貢献したといわれるが、
両者とも豊臣家の禄を食んだ者として相当苦しい浪人生活を送ったという。
もう1人はどういうわけか、豪奢な屋敷をかまえ(場所不明)、毎年正月には多くの近隣住民が年賀のあいさつに訪れるなか、
2人は奥座敷に恭しく迎えられ、自身は下座にひかえるなど、主従の礼をとった。
住民がなぜあの2人だけを特別扱いするのか不平不満を口にしたところ、
「世が世ならお前たちなんぞ近づくことも出来ぬお人らなのだ」と叱られた・・という話を部落の古老が伝えています。
3人の姓も分かるが、削除されるかもわからんので一応控えておく。
皮作がいたことも古文書に出ているが、わずか一語程度なので研究者もよくわかっていない。