10/02/20 12:20:58 9mMrcZ2v0
>>693
室津は古くは摂播五泊、江戸時代は西国大名70数藩の参勤交代や
来日した朝鮮通信使の中継点として、繁栄を誇っていたので、
遊郭があったと聞いています。様々な遊女伝説も残っているようです。
ちなみに御津小校区が網干の興浜や浜田と同じ丸亀藩飛地であり、
室津小校区は姫路藩の飛地でした。平成の大合併の際、姫路に合併したい
意見も多かったのもうなずけます。
播磨の大藩である姫路藩は、室津や皮革村といった「金蔓」をたくさん
抱えていたみたいですね。姫路藩の皮革は質が良く、隣の龍野藩が、
いくら頑張っても姫路藩の品質に追いつくことが、できなかったようです。
皮革村でなめした皮の一部が財布やキセル入れに加工され、室津で、
土産物として売られ、売上が姫路藩の懐に入ったとのことです。
皮細工は室津の漁師さんたちが天候不良時に行ってた内職だそうです。
網を編んだりするので、手先が器用なのかも知れませんね。
なぜあのランドセルメーカーが漁師町にあるのかがお分かりになった
と思います。今ではすっかり有名になって、本社を変えないまま、
地元に納税していただけるなんてありがたいことです。室津に
ランドセルメーカーがあるからと言って、室津は別にBではないですよ。
ただ没落した感が否めない田舎町ではありますが。