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〈弓矢人権裁判とは〉
弓矢人権裁判のきっかけとなった事件は、次のようなものである。
三重県松阪市の高校教諭であった弓矢伸一氏(現在、47歳)は、
平成12年春、居住地での自治会分離独立問題に取り組む中で、
近所の人と話をしている時、「お嬢さんの将来に良いですしね」という発言を行い、
この発言と自治会分離独立の取り組みが差別発言とされ、
部落解放同盟とこれと一体となった三重県教育委員会から、
長期にわたって執拗、陰湿な追及と糾弾を受け、心身共に疲弊し、
本人も家族も自殺の一歩手前まで立ち至った。
弓矢さんとともに、校長も解放同盟から追及の矢面に立たされていたが、
校長はその渦中で自らの命を絶った。
弓矢さんは、自分や校長に対する解同や教育委員会の追及が不法行為にあたるとして、
三重県と解同幹部らに対して損害賠償(慰謝料の支払い)を求める訴訟を提起した。これが事件のあらましである。