09/02/26 17:03:00 HReYSBQ30
>>575
だから、「ひだり」はハズレだって。
あそこはただの百姓村。
どうしてこのスレの住人たちは「ひだり」をガチ扱いしたがるかなぁ・・・。
「くら」は近くに出城があったからそれを考えれば当然かも。
敢えて答えは言わないけど・・・。
「鬼謀蛾崗」は昭和40年代まで水田地帯だったからハズレ。
踏切跡近くのスーパー向かいに大地主が何軒かあるけどあそこはみんな代々農家。
「度合い」も水田地帯だった場所が戦後に開発された場所。
あそこの「兼榮獣托」は転勤サラリーマン家族や新婚向けだからハズレ。
昭和50年代に今の建物に建て替えられたけどその前にあったモルタル造りの建物は立て替え前の「神覗き」並みに香ばしい雰囲気があったね。
それとあの辺り、昭和50年代までは他にも萌え物件が多数あったよ。
だけどそれも「寝台公額武」の「感謝」だからハズレ。
「感謝」があった場所は解体・整地後に分譲されて一般の住宅地になってる。
むしろ「笑話」と「末場」のが怪しい。
「笑話」は戦後まもなく「OLD-LIVER-TOWN弾血」って名前で湿地帯の「不良獣托」解消のために作られた。
昭和40年代に今の建物に建て替えられて「笑話弾血」って名前になったけど一部の棟が「怪獣」扱い。
それと「LONG-HILL-O端」挟んだ「末場」は戦前に「尾佛庶吏情」と「電線猫陰」があったからね。
「末場」の詳しい話は>>514のリンク先にあるよ。
グダグダと長文スマソ。