09/02/26 18:30:50 a3mbg5ty0
明治維新の立役者は、薩摩・長州を中心とした倒幕派と江戸幕府との武士階級の争いごとであったのは
史実のとうりである。
ここで、大政奉還・明治維新で、何とかしなければ封建制度の頂点であった武士階級に民衆の反撃が始まる。それは士農工商という身分制度であり、
このままで行くと、民衆をコントールし、百姓から過酷な年貢取り立ててた武士は、不利な立場となる。
そこで、百姓らを苦行の目にあわせてたのは、エタとの図式が完成する。そして、武士は華族としてまんまと生き残る。
(一説には、庄屋も同罪で、この図式を完成させ、大多数を占める小作人対策をしともいえる)
そして、片方では武士も下野し四民平等の社会が来たと、自らの身の保身のため四民から部落はずしを図ったといえる。
ここで、各城主に保存されてた書物は都合の悪いものは焼却され。明治以前の部落に関する文献は少ない。
天皇家も四民にいれない、神とする。でも皇女、和宮が嫁ぐように当然みな天皇は人間って知った上での、掟つくりが正解かも。