10/06/26 12:54:44 WnMEFRPLP
首都大学東京
一般の名称公募では「東京都立大学」が最多だったが、石原の意向で名称が「首都大学東京」となった。
都からの一方的なトップダウンの大学改組や雇用不安定化に対し大学教員側が反発、
著名な教授などを含めた多数の教職員が他の大学へ移籍した。
また、都立大法科大学院の入試が延期され、近代経済学グループ16名中15名が大学を去り
経済学コースが設置できなくなり、採択された21世紀COEプログラム
「金融市場のミクロ構造と制度設計」の補助金を返上するなど問題が発生した。
石原は経済学部のCOE返上問題について「一部のバカ野郎が反対して(COEの)金が出なくなったが、
あんなものどうでもいい」と発言している。