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河原敏明『皇太子妃雅子さま』 P161-P162
その祖先が眠るという西真寺を訪ねた。西真寺は村上市にある浄土真宗の寺
で、元和四年以来、ここで三百七十年の歴史を持つ。住職本荘長弘師はその小
和田 家の墓について、毅夫氏が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新
潟市の 泉性寺に移した、という話をしてくれた。
ゆえにいま西真寺にある小和田家の墓には、兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻
とその子供だけ(夫の道蔵の墓は新潟に)二基の墓石が並んでいる。高さが七
十センチ、近隣のものと比べて極端に小さく墓域にも余裕がない。
「なぜ祖父の妻と子、および曽祖父夫妻の墓を残していったのか。ふつう移す
ときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
と住職夫妻も不審気だった。昭和六十一年十一月、恒氏が外務省官房長のと
き、恒、毅夫の両氏夫妻が村上にきたが、そのときも祖父、曽祖父が眠ってい
るにもかかわらず墓参していないことにも、理由をはかりかねていた。
そこで小和田毅夫氏が、村上から墓を移したという新潟市の泉性寺に聞くと
住職の広沢誠師が、
「小和田家の墓は明治七年よりうちにあるが、ただ金吉と兵五郎の墓はない。
匡利(道蔵)の墓だけがあります。外務省の小和田家にとって初代にあたる兵
五郎の墓は寺にありません。私の父が死んでいるので、その辺の詳細は分かり
ませんが。三十年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということ
はまったく知りません」