10/03/19 02:19:34 CrawgG6v0
>>515 補足
雅子が何故「愛子を天皇に(女性天皇擁立)」に拘るかといえば、
生い立ちに関係があると思われる。
雅子の父、小和田恒は「男女共同参画」を日本に初めて持ち込んで
法案の成立に尽力した人であり、自分の家族も娘3人のために
働く女性として育つことを望んでいた。雅子はその思想をもって育てられた。
愛子が生まてから育児休暇を要求したのも、雅子にとっては当然の条件闘争。
第二子を拒否した真相は、はっきりしていないが、その頃を境に
皇室に女性天皇を擁立する改革を目論んだ。自分の子が女というだけで
天皇になれない、といった無念さや怒りがあったそうだ。
徳仁の協力で、典範改正を計画して(ロイター)挫折した時から
夫婦とも結託して、怨念のように秋篠宮家を恨んでいる。
それと同時に、男子を産めなかったコンプレックス、陛下への恨みなど
いろいろ重なってのことかと思う。「愛子を天皇に」