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【正論 2005年 11月号】引揚民間人を襲った略奪,暴行,殺戮の嵐
満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに
散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
(中略)
吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。強姦によって妊娠させられた女性たちには、
堕胎手術が施された。また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。医療救護に従事していた医師・田中正四は、
港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、
進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。しかも一度では済まず、相手も変わった。兵隊同士が情報交換をしていて、
部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。医療設備や技術の不備、
そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、
そして台湾人、フィリピン人も登場する。中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。