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(私達の東亜戦争を戦ったのです)
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朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、
韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。
北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。
日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して
韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は
決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を
打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、
誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むこと
は屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”
というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争
だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の
戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても
強調しすぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を
持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に
勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの
戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ
”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものは
すぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊
として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」