09/12/21 22:02:35 YW4dobU/0
昨日「アーヤ」は礼宮でなく文(あや)仁からだという、おかしなことを書いてた人がいたので、
昭和40年代の記事をうp。アーヤは礼宮に由来というのが当時からの見方でしょう。
別冊女性自身 ご成婚10周年記念家庭保存版 昭和44年4月1日発行
URLリンク(www.yuko2ch.net)
皇太子ご夫妻その抵抗と勇気の目撃録 浜田寛(共同通信・元宮内記者) (女性自身昭和42年7月3日号掲載)
ご夫妻は、浩宮にはやさしく、それに比較して礼宮にはきびしく、という教育方針を考えておいでだ。
その意図するところは、浩宮は必然的に、将来の天皇としてのきびしい生活を要求される。それにひきかえ、
弟宮である礼宮は、ある時期がくれば御所から解放され、かなり自由な人生が楽しめるだろう。
そのとき、礼宮が、兄宮の責任ある地位と、それにともなう苦労とを、実感としてうけとめ、
浩宮に対して、よく弟であろうとつとめられるように、幼児から、きびしい皇室のしきたりを身につけさせたほうがよいと、ご夫妻はお考えのようだ。
従来、皇室では、宮号をよぶことはあっても、その名をよぶことはなかった。
だが、浩宮徳仁親王は、名前のほうの“ナルちゃん”を愛称とした。
弟宮の礼宮文仁親王は、宮号の“礼あや”をとって、“アーヤ”とよばれている。このあたりにも、人間的に「ナルちゃん」とよび、
しきたりどおりに「アーヤ」とよぶご夫妻の考えが、あらわれているように思えるのだが……。