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鳩山由紀夫(S22.2.11) と同学年の景山民夫(S22.1.29) も、同時期に SF にいた。
ちなみに、成毛滋(S22.1.19)も同級。
GSバンド辞めて、1969年サマーオブラブまっただ中の、SFに飛んで行った。
当然のように、SFでヒッピーの洗礼を受けている。
■ 景山民夫
千代田区内にある暁星小学校に入学後、父の中国管区警察局公安部長転任に伴い
広島市に転居。私立の暁星から終戦数年の広島市立の普通の小学校に入ったため、
強烈な広島弁、被爆で背中一面ケロイドの担任の先生、夜店で拳銃を売買する光景を
目撃し大きなショックを受ける。広島の後、山梨県に転校。さらに両親は秋田県に転勤
となったが武蔵中学を受験・入学したため秋田には行かず、その後は東京・半蔵門の
おばの家に寄宿。武蔵高校を経て、慶應義塾大学文学部、武蔵野美術短期大学
デザイン科中退。
武蔵高校の同級生に高平哲郎がいる。大学時代にカレッジフォークグループ「モダン・
フォーク・フェローズ」にベースとして参加。モダン・フォーク・フェローズの一員として、
東芝から『さよならは云わないで』『朝焼けの中に』の2枚のEPを出す。
作家として
1968年に放送作家となり『シャボン玉ホリデー』を手掛ける。1969年にアメリカに渡り、
サンフランシスコのブロードウェイ近くのコーヒーショップでギターの弾き語りとして働いていたが、
市民権やワーキングビザはおろか社会保障カードすら持っていなかったため移民局に
目をつけられてニューヨークに逃亡。1年半の間ニューヨークで生活する。ニューヨークでは、
グリニッチ・ビレッジのコーヒーショップ「フォーウィンズ」でフォーク歌手として出演していた。
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