09/09/14 23:59:22 6IhLh1/f0
URLリンク(www.city.kameoka.kyoto.jp)
しかし昭和18年(1943)になると、ジャズなどの英米音楽の演奏が禁止となり、
春には6大学野球連盟が解散。
甲子園球場の銀傘が金属回収で供出されるなど、国民の娯楽も徐々に失われていった。
昭和19年(1944)2月になると「決戦非常措置要綱」により、料亭・劇場などの娯楽施設は一時閉鎖され、
東京都ではビヤホール・百貨店・喫茶店などが雑炊食堂へと変わった。
3月には宝塚歌劇団が最終公演を迎え、わずかに残された娯楽も失われていった。
11月にはプロ野球も中止された。この年にはサイパン島が陥落し、本土への空襲が激しくなっていった。
URLリンク(www.city.kameoka.kyoto.jp)
つまり19年までは、ビヤホールもプロ野球も百貨店も公然と行われていたのよ。
そして勇ましい掛け声とは別にかんな状況は戦後まで続いていたと・・・
吉田健一のエッセイに終戦直後に焼け跡で社交ダンスやってた連中の事が出てくるけど
そんなもんだと思うよ。