09/09/09 00:12:26 KwaDZW2e0
自由党と日本民主党による55年の保守合同の舞台としても知られる東京
・文京区の「音羽御殿」で育った鳩山は、専修大の助教授だった84年、
中選挙区だった北海道4区(現・北海道9区)から出馬を決意。
86年の衆参同日選挙に自民党公認で立起、初陣を飾った。
かつて北海道4区だった空知管内・栗山町の住人は、「当時は4区から出る
鳩山を落下傘候補と見る向きもあった」と述懐する。なぜ、鳩山は北海道から出馬したのか。
栗山町内には、現在も農家が点在する鳩山地区がある。
人口136人、49世帯(2005年10月1日現在)の地区内には、鳩山川、
鳩山池、鳩山神社など、鳩山家縁の名が残されている。
「地名は弁護士、衆議院議長、早稲田専門学校長の鳩山和夫の経営する
農場があったことから鳩山と名付けられた。この地は明治27年(1894)に鳩山
和夫と北村萩右衛門、つづいて29年に松平基則が未開地を貸下出願し、
それぞれ翌年から開墾に着手している」(71年発行「栗山町史」から抜粋)
果たして、鳩山は先祖縁の地であることを理由に立候補したのだろうか。
室蘭の鳩山由紀夫事務所は、出馬の経緯をこう説明する。
「父の威一郎氏は大蔵事務次官を務めていた時から、三枝三郎代議士と
親交がありました。引退を決めていた三枝代議士は、由紀夫氏が政治家
としての志を持っていることを聞いて後継者に決めたと聞いています。
鳩山地区に土地を持っていた鳩山和夫氏が住民に土地を譲り、譲り受けた
人々が鳩山神社を建て、今日まで守っていただいています。
それでも三枝代議士の後継として出馬したのであり、選挙区に神社が
あったことが理由ではありません」