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毎日新聞(夕刊) 1990年6月29日
「紀子ちゃん ありがとう」
父親の思い 辰彦さんが談話 2
紀子の思い出としては、三、四歳のころ、米国に滞在中、両親に連れられてスーパー
マーケットへ買い物に行く途中はたいてい、一軒ずつ軒並みに、道路から各家のテラス
式玄関に通じる階段を一人で上り詰めては、また、降りてくる動作を好んだり、公園の
樹木に他の子供たちと一緒に元気で登ってしまうなど、活発な子供でした。
紀子が四歳の終わりごろ、私は勉学のかたわら、ハリスバーグにあるペンシルバニア
州政府の庁舎でコンピューター分析の仕事を手伝っていました。ちょうど博士論文作成
の最終段階でしたので、週末は、家族が住むフィラデルフィアに戻り、論文の仕上げ作
業に大わらわでした。私が手書きした論文の下書きを妻がタイプに打ち直します。それ
を私がまた修正し、妻が再びタイプに打ち込みます。このような作業の繰り返しでこの時
期の週末は時間に追われるまま、紀子をほとんど世話することができませんでした。ま
た、食事を済ませた後の食器は、妻が後でまとめて洗うため流し台に置いたまま、ため
てありました。
そんなある日、紀子が、流し台の前に大きな踏み台を持ち運び、汚れた食器を全部洗
ってくれました。もちろん、妻が頼んだわけではありません。私たちの作業部屋と台所は
離れているので、食器を洗う音は一切、聞こえてきませんでした。偶然、台所に入り、紀
子の心配りに気づいた瞬間、目頭が熱くなる不思議な感動を覚えました。
紀子は、七つ違いの弟の舟が生れた直後からミルクをあげたり、おしめを取り換えたり
、と彼の面倒をよく見てくれました。