09/04/15 09:17:09 wE7+NAUb0
週刊女性4/28号に記事がありましたので、抜粋。全文は本誌でご確認下さい。
タイトル 短期集中連載「バッシング? 宮中戦争?'93.10.20『失われた声』の真相」
(導入)
59歳の誕生日に発表された美智子さまの所感(宮内記者会の質問への文書回答)
『どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います(中略)
しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない
社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が繰り返し許される社会で
あって欲しくはありません。』'93.10.20
('93のいわゆる「失声症事件」について振り返る)
所感が発表された当日、祝賀行事出席のため、今上・紀宮様と共に赤坂御所で待機中、
皇后さまが倒れる。すぐに意識回復、軽い昼食も取られたという。
侍医の診断では、「特段別状はない。ただ、努力しても言葉が出ない様子で体調
を見守っている」'85ごろから貧血やめまいが持病のようになっていた。(当時の
宮内庁担当記者)夜には「23日からの香川・徳島国体には予定どおりご出席」と発表。
21日午後、精密検査の結果「器質的な異常は認められない。しかし、なんらかの
強い悲しみを受けたとき 、一時的に言葉を発せられなくなることはありうる」
(金沢一郎・現皇室医務主管)
精密検査後も"四国訪問"の予定に変更は無かったが、宮内庁に抗議の電話が殺到
したこともあり22日夕、藤森昭一・宮内庁長官が赤坂御所で訪問中止を進言。
説得は6時間ちかくにおよび、深夜12時前になって美智子さまが意思表示され、
中止が決定(当時の宮内庁担当記者)
当時、皇室の内外では美智子さまへの様々な非難が、一部の雑誌メディアでも報道。
皇太子妃時代、美智子さま関連の報道は、ほとんどが「礼賛」記事。それが皇室内
で孤立状態だった美智子さまには、ある意味で大きな支えになっていたのも事実。
「新聞・テレビはもちろん、雑誌の記事もすべて目を通されていた。事実と違ったり、
批判的なものもあって、たいへん気になさる。」(元・東宮侍従の浜尾実さんが、
のちに語る)