09/12/12 18:13:21 Osn0Woql
>>778
レスを読んで、ますます分からなくなったのは、君自身の「仏教観」というのは、何に基づいて形成されたのか?ということだ。
「仏教観」を持っているということは、その仏教観の根拠となる経典がなければおかしい。
よって、君の仏教観を形成した経典と、その経典が釈尊が説いた法であるとする根拠を明示してほしい(君は大乗非仏説に肯定的な立場のようだから、まさか法華経ではないだろうが)。
ついでに触れておくが、創価学会が根本にしているのは法華経ではない。御書である(それは君も十分に承知のことと思うが)。
その学会員に対して、根本の御書を無視し(!)、「法華経、法華経、法華経…」と、(持説はろくに説明もしないで)質問を繰り返すのは、筋違いではないだろうか?
君や大乗非仏説の目的は、創価学会の教義を否定することにあるはずだが、そうであるなら「御書には○○と書かれているが、それは××という理由で、間違っているのではないか?」とならなければ本来おかしい。
しかし、君からも大乗非仏説からも「御書」という言葉が不思議なほど出てこない。
もしかしたら、君たちは、本当は御書について無知なのではないか?御書という「土俵」の上で勝負するのを、意図的に避けているのではないか?
もちろん、法華経に関する議論が全て無意味というつもりは全くないが、君たちの質問を読んでいると、御書を無視して、法華経単体を取り上げて疑問をぶつけてきている。
そういう質問をされても、こちらは「ただ返答するだけ」しかないのだ。つまり、ほとんど議論の意味を感じないのである。
繰り返すが、なぜ「御書」をないがしろにした議論しかしないのですか?
>ところで自分はあんたが当の粘着創価信者だと思っているが、それは今は問題にしない
問題にしないと書きつつ、わざわざ書いているのは、問題にしたいということだろう。
それに対する私からの返答は、「それは違う。憶測はやめなさい」ということだ。
これを信じないというなら、それで結構だが、その疑いをぶつけてきても、今後私は一切相手にしない。