09/11/19 12:23:13 93TcY+2P
>>213
>創価を批判すればどうして生命の尊厳を否定したことになる?
創価学会は、生命そのものの平等な尊厳を説く思想を広めている団体である。
その学会の存在を否定することは、それはすなわち生命の尊厳を否定することにつながる。
これほど単純明快な話が、わざわざ説明されないとわからないものだろうか?
>そう主張するためには創価以外は生命の尊厳を否定していることになる
まったく論理的に無茶苦茶な主張である。
学会の存在を否定するような批判を展開する人間や組織ならいざ知らず、全く無関係な人間や組織まで一律に「生命の尊厳を否定している」など
どう考えれば、そんな結論に到るのでしょうか?
>また生命の平等な尊厳を認めているなら批判者の尊厳をも認めなければ矛盾する
当然の話でしょう。
批判者の“主張”に対し反論することは、批判者の尊厳を認めない(=人格を否定する)こととは意味が違います。
宗教に限らず、様々な分野で意見の対立などから論争が行われていますが、それは即、対立する意見を主張する者の尊厳を否定したことになるのでしょうか?
そういう人もいるかもしれませんが、少なくとも学会ではそのよな立場をとっておりません。
>それとも創価的には批判者は生命ではなく、「野垂れ死ぬまで攻め抜け」ということになるのか
生命ではない?何をわけのわからないことを書いているのでしょうか?
ちなみに、「野垂れ死ぬまで攻め抜け」とは、その言葉どおり“死ぬまで”攻め抜けと言っているのではありません。
あくまで、悪を厳しく責める姿勢の重要性を、誇張して表現しているのです。常識で考えても、人殺しを推奨するわけがないでしょう。
あなただって、一種の比喩として書かれたものだと、本当は知っているのではありませんか?
知っていながら、学会批判の材料として使おうとしているように私には感じますね。