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小学生のころから「新聞をよく読みなさい」「重要なものは切り取って持っていなさい」と、
よく授業で言われた。中学受験の時にも「役にたつから読んでおいたほうがよい」と言われ、
よく分からないまま読んでいた記憶がある。
中学・高校生の時には、授業の一環として新聞を利用し、各紙の比較や内容の分析を行った。
定期試験の範囲にもなったくらいだ。しかし、結局、新聞を読んだり、内容をしっかり見る習慣は
つかなかった。切り張りしろ、と言われても続かなかったし、はっきり言って、何に使うのだろうか、
という疑問もあった。
それがある時、一転するエピソードがあった。高校二年生のとき、いつしか僕は脚本家を
志すようになった。書店に行き、さまざまな指導書を購入して読みあさった。しかし、やり方は
分かっても、題材の得方はいつまでたっても理解できなかった。脚本家諸氏は、天才的な
ひらめきを持っているのだ、と信じていた。
高校三年生になって、ある指導書を読んで、それが覆された。それにはこんな内容があった。
「毎日、新聞を読んで変わった内容があったら切り取っておくと将来使える日が来る」と。
すぐに新聞を読み始めた。すると、脚本のアイデアはおろか、脚本に関係のないことでも、
たくさんの情報が僕の中へ入ってくるようになった。政治や経済、その他の問題が
よく理解できるようになった。どんな参考書やテキストを読むよりも分かりやすい。
今では新聞に病みつきだ。授業そっちのけで新聞を読んでいる時もある。
周りの友人からはよく「熱心だ」とか「オジサンくさい」なんてからかわれる時もあるが、
僕はむしろ褒めてもらえているような気がしてうれしい。
新聞は僕らの可能性を広げてくれる。必ず自分の糧になるはずだから読むべきだ。
あんなに簡単に手に入って、何物よりも扱いやすい新聞を放置しておくのは「モッタイナイ」。
ソース(東京新聞):
URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)