09/04/21 16:29:13 0
「とりかえしつかないことの第一歩 名付ければその名になるおまえ」と詠んだのは俵万智さんである。
とりかえしのつかない第一歩を踏み出したようなネーミングが氾濫していると感じているのは私だけではないようだ。
「週刊文春」には、「先生が名前を呼べない子供たち」という特集が組まれていた。
一度では、読めない名前が増えてきた。その名付けの変化は、ここ10年劇的だと言うのだ。
その記事の中で、個人的に気になった子供の名前ベスト5は、こんなところ・・・。
【男の子の名前】和源→わーげんくん、天使→みかえるくん、英雄→ひいろくん、強運→らっきいくん、沙風→さあふぁくん
【女の子の名前】愛声→あのんちゃん、絆→はあとちゃん、樹里亜菜→じゅりあなちゃん、楓→はいじちゃん
「名前ランキング2008」には、さらに、こんな名前も紹介されている。奏人→タクト、光舞→テルマ、
月→ライト、獅人→レオト、大虎→タイガ、星穏→シオン、遥空→ハルク、琉煌→ルキヤ、怜音→レイン、
瑠楓→ルカ、望来→ミライ、伶音→レノン、來夢→ラム、心暖→シノン、煌羅→キラ・・・きりがない。何でもありだ。
珍しい名前ををみんなで評価するサイト「DQNネーム」には、4月20日に、こんな名前が新しく
登録された。流楽→るんら、愛々→なな、桜心→ももね、詩映愛→しえら、洛→りいち、美心菜→みふぁな、
翔飛→しょう、肇陽→はっぴ、綺麗麗→きらら、宙大→ゆうだい・・・。
その昔、子供の名前につけたい漢字の意味や読みには、「こんな人になってほしい」という想いが
託されていた。だから、幸・豊・仁・義・礼・智・信・直・博・貴・真・優・秀・良・和・美・清などが使用されていた。
親なら誰もが願う、子供達への想いが同じだったから、よく似た名前も多かった。
そして、時代は変わった。個性が重視され、価値の多様性を認めなくてはいけない。
翼・翔・颯・陽・菜・葵・桜・望・優・彩・凛などなど、画数の多い判読の難しい漢字が使われるようになった。
週刊文春の記事には、この状況を危惧する加藤卓也弁護士のコメントが記載されている。
『名前は、その人物が社会で認識されるための符牒です。他人が読めない名前には社会性がありません』と
西沢助教授は、セラピストとしての豊富な実務経験を基に講演した。その中で、西沢助教授は「凝った名前
には、子供を支配したいという気持ちが出ている」と指摘し、子育てがうまくいかないと、怒りが子供に向けられ
がちな背景を説明。
さらに「凝った名前に横やりを入れる人が周囲におらず、虐待のストッパー(歯止め役)がいないことの現れ」
などと実例を交えながら説明した。また「最近は、まるで暴走族のチーム名のような当て字の名も多いが、
名付けという行為一つにも家庭の様子が見て取れる」と話した。
少し暴論の気もするが。一理は、ある。子供の未来に託すことは、社会性よりも、個性。
「自分らしく生きて欲しい」という想いが、「読めない名前」の源泉。
「自分らしく生きて欲しい」の裏側には、「自分らしく生きることができなかった自分」「自分らしく生きる
ことを許さなかった親への反発」がある。
だから、子育てがうまく行かなかった時、歯止めがない。ストレスが、その名を付けた我が子に向かう。
結婚すること。子供が生まれること。それは、自分らしい暮らしを延長することではない。むしろ、社会を
受け入れること。客観的に言えば、自分の暮らしの中に、他人を入れること。「自分らしく生きる」ことを
少しあきらめることでもある。
そうして生まれてきた子供の名前には、「自分らしく生きる」ことを託すのではなく、一刻も早く、
広く社会に認められる人間になれと託すのが全うではないかと考える。
名前は、みんなに読まれて、みんなに呼ばれて、そのヒトになっていく。
読みやすく 覚えやすくて 感じよく 平凡すぎず 非凡すぎぬ名が一番。俵万智さんの言うとおりである。
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