南京大虐殺はチョンの仕業2at ASIA
南京大虐殺はチョンの仕業2 - 暇つぶし2ch335:藁んば
09/10/13 01:10:28 7tSqgLp0
>>329
君がここで言っている事は、ほとんどが「南京戦史」の資料、というよりも編者の注釈に基づいた意見だが、
その「南京戦史」に記述された注釈が正しいかどうかは、また別の資料による裏付けがなければならない。
君の意見にはその裏付けがない。もともと「南京戦史」は、南京大虐殺を否定する目的で編集された極めて
イデオロギー性の高い偏向図書であるから、そんなものを無条件に信じるのは、よほどお目出度い。
(「南京戦史」の資料的価値は一定程度認めなければならないが。)

君は何か頓珍漢な勘違いをしているようだが、争点は「南京刑務所に護送され収容されたかどうか」という点にはない。
そんな事をワシも否定していない。7200人がそっくりそのまま、その刑務所に収容されたかどうかは別として、12月14日
までに捕縛された捕虜の大部分は<その後に>場所を移されて処刑された可能性が高い、と言っているのである。
君の意見には、「殺されなかった」という証明は全くない。

とりあえず、この事件に関するポピュラーな解釈はこうだ。
秦郁彦『南京事件』(p124-125)より
>ところで、この七二〇〇人の捕虜はどうなったのか。軍司令部に問い合わせると、「直ちに銃殺せよ」と言ってきたが、
沢田少尉が拒否すると、「では中山門までつれて来い」と指示が変り、迎えの部隊と同行して中山門までつれて行った
>、と沢田氏は述べている。
>鈴木明氏が中沢参謀長や捕虜に付きそった兵士から得た証言によると、彼らはとりあえず馬群に竹矢来で囲った
>急造の収容所に入れられ、給食して、二、三日後に城内刑務所へ転送されたようだ。
>
 この転送風景を目撃したのが、『野戦郵便旗』の著者佐々木元勝氏で、その十七日の項に、「夕霧に烟る頃、
>中山門を入る前、また武装解除された支那兵の大群に遇う。乞食の大行列である。誰一人可憐なのは居ない。
>七千二百名とか」と記し、引率の将校が、「一挙に殺す名案を考究中・・・・船に乗せ片付けようと思うのだが、船がない。
>暫らく警察署に留置し、飢死さすのだとか……」と語ったのを記録している。

> 中島日記にも、「此七八千人之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ中々見当ラズ一案トシテハ百二百ニ分割シタル
>後適当ノヶ所二誘キテ処理スル予定ナリ」とあるように、どう始末したらよいか名案が決らぬままに「10(中隊)ハ捕虜ヲ
>南京刑務所二護送ス」(「無錫・南京三十八連隊行動表」十二月十八日の項)となる。
>その後の彼らの運命については、処刑説、上海移送説、釈放説と色々だが、今のところ確認できない。(*)
>(*)翌年1月上旬南京に出張した参謀本部の稲田中佐が、榊原派遣軍参謀から「収容所の捕虜は
>上海で労役に使うつもりでいて、数日出張した留守に殺されてしまった」(稲田正純談)と聞いている。
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