09/10/12 23:23:08 TJtuWgu1
>>317
キミの騒々しいその絶叫モードはもう少しなんとかならんものかねええ。
街宣ウヨクの垂れ流す耳障りな雑音と同じレベルだな。
ま、カキコの中身の肝心な部分は、2,3行で済む貧弱な話なので、懸命になって中身を膨らまして
いるのだろうけど、傍目から見ても痛々しいよ。ププ
>>286 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/10/12(月) 01:32:13 ID:TJtuWgu1
>>283
> いうなれぼ、師団長の方針、命令に違反して捕虜として収容したことになる。
> そして後日、何のとがめもなかった。
・・・少しはまともな執筆者が書いている「南京戦史」の文章とは俄に信じられないのだが・・・
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これについては既にコメント済みだが(>>286)、頭の悪いキミにもう少しかみ砕いて説明してあげよう。
児島義雄第38聯隊副長らに、どうして「お咎め」がなかったかの理由は、二つ考えられる。
①命令に違反した、が、そもそもの中島師団長命令自体がデタラメなものだったので(これは記号<クンも
認めている→>>209)その命令を無視しても、上海派遣軍の軍司令部から「お咎めがなかった」。
(上海派遣軍の軍司令部からは捕虜は殺すなという指令がでていた??)
さもなければ、
②命令に違反しなかった、つまり捕虜を始末せよ(殺してしまえ)という師団長命令は、死体を処理する
都合から、その7200人が他の場所に移された後に(例えば仙鶴門附近から下関へ)実行されたから
もちろん、第38聯隊の隊員達には師団からも、参謀本部からも何の「お咎めもなかった」
記号<クンの意見は、もちろん①であるが、もともと頭が弱いので、②の可能性までは知恵が及ばなかったらしい。
つか、資料をきちんと読めば、そういう誤読はあり得ない事が直ちに分かる。(資料をまともに読んでいない。)
中島今朝吾中将(第16師団長) 日記 (12月13日)
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処
>に誘きて処理する予定なり