09/10/05 12:15:51 8nhL75zh
中川昭一元財務相がきょう、亡くなりました。
産経紙面には上司に命じられ追悼記事を書きましたが、それとは別に、これまで10年余にわたって、いろいろな場面で見聞したこと、
直接話したり、議論したりしたことが脳裏に去来して、今は何とも言いようがありません。ただただ残念であり、喪失感を覚えます。
政治家を、「好き嫌い」だけで判断してはいけないと思いますが、私は中川氏という人間が好きでした。
真面目で繊細でそれゆえに傷つきやすいところがあって、酔って行き着けの店でくだを巻くのも、
その優しさや鋭すぎる感受性と裏返しなのだろうなと感じていました。
そして、何よりいつも真剣に日本のことを考えていました。
個々の政策や考え方への批判、財務相時代の「酩酊会見」などに対する失望や叱責は当然だろうと思いますが、
それでも私は、中川氏が次の選挙で復活し、また日本のために働いてくれることを願い、信じていました。
記者と政治家のつき合いという意味で言えば、私は中川氏からいわゆる「ネタ」はあまりもらったことがありませんし、
こちらも特に情報を引き出そうとしたことはありません。むしろ、僭越を承知で言えば、べたべたしたつき合いはなくとも、
自分勝手にある種の「同志」のつもりでいました。
私は「まっすぐ」な人が好きですが、中川氏はまさにそうで、かつ含羞の人でした。てれたような、はにかむような笑顔が思い出されます。
重ねていいますが、対外的な強い主張とは別に、とても繊細な人だったのだと思います。
マスコミは私も含め、健忘症です。一時はある人物を大きく取り上げても、次の話題が見つかれば、すぐそちらに飛び移り、去りゆく人のことは簡単に忘れます。
でも、少なくともこの10年余、教科書、拉致、靖国、朝銀信組、外国人参政権、人権擁護法案…と中川氏がどんな活動をし、
党内外にどんな影響を及ぼしてきたか多少なりとも知る私は、決してそれを忘れてはいけないと感じています。
政治は結果責任が問われる場であり、言い換えると一つ大きな失策を犯すとそれ以前の功績が吹き飛び、忘れられ、あるいは無視される場でもあります。
逆にいうと、「終わりよければすべてよし」でそれまでの経緯が問われないこともあります。政治の新陳代謝、
ダイナミズムのためにはそれも「あり」なのでしょうが、できれば違う視点も持ちたいといま、そんなことを考えています。
もちろん、欠点もたくさん持っている人でしたが、そんなのは人間である以上当たり前なのだろうと思います。
日本は大事な人を亡くしたと、本当に、本当にそう感じています。
もはや、ご冥福をお祈りするしかありませんが。 URLリンク(abirur.iza.ne.jp)