09/05/24 16:46:30 gRVJvOBZ
日本の歴史学界、歴史教育界、司法界において、南京大虐殺が歴史事実であるとの認識が定着したのは、
一九七〇年代以降に展開されたいわゆる南京大虐殺論争の結果、一般に”南京大虐殺派”と称される歴史事実派(以下、事実派と称する)が学問的に勝利し、
”南京大虐殺まぼろし派””南京大虐殺虚構派”と呼ばれる南京大虐殺否定派(以下、否定派と称する)が完全に敗北した結果である。(『現代歴史学と南京事件』より)
●議論のルール
1.反論を大量スルーしておきながら質問を発してはいけません。
2.矛盾を指摘されたままの資料を再び根拠として使用してはいけません。
3.スレを読まずに論を主張してはいけません。
4.30万人か虚構かという二元論的議論をしてはいけません。
5.初歩的な事項に関するソースの提示を求めてはいけません。自分で調べましょう。
●基本リンク
▼南京事件FAQ
URLリンク(wiki.livedoor.jp)
▼南京事件 小さな資料集 ゆうのページ yu's page
URLリンク(www.geocities.jp)
▼渡辺さんのページ
URLリンク(www.geocities.co.jp)
▼南京大虐殺事件の真実 タラリさんのページ
URLリンク(www.nextftp.com)
▼南京大虐殺事件資料集
URLリンク(members.at.infoseek.co.jp)
▼ノーモア南京の会・東京
URLリンク(www.jca.apc.org)
●前スレ
【統一スレ】南京大虐殺を議論する【その3】
スレリンク(asia板)
【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】88次資料
スレリンク(asia板)
●過去ログ
URLリンク(members.at.infoseek.co.jp)
2:日出づる処の名無し
09/05/24 16:48:47 pJaJQDlM
映画 南京の真実 記録映画編(上海~南京陥落)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
映画 南京の真実 記録映画編(南京陥落後)
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
南京の真実 証言編
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
3:日出づる処の名無し
09/05/24 16:49:54 pJaJQDlM
中国共産党 反日プロパガンダの黒幕 李長春
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
”黒幕”は(中国共産党)党内序列第5位の大物! = 李長春(政治局常務委員)
URLリンク(gunken.jp)
URLリンク(j.peopledaily.com.cn)
中国の宣伝戦を担う「中央対外宣伝弁公室」&「中央宣伝部」
李長春氏、抗日戦争の研究強化呼びかけ 北京で学術シンポジウム
URLリンク(www.fmprc.gov.cn)
李長春・中国政治局常務委員、マスコミ代表と懇談 2009.3.30
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
4:日出づる処の名無し
09/05/24 16:50:15 pJaJQDlM
【中国共産党】基本同志は運用同志を獲得せよ【対日工作指令】
対日工作主要目標
・日本の先端産業技術の獲得
・日本の政治、外交、軍事情報の収集
・対台湾工作の拠点の構築
・民主化運動や法輪功に関する情報収集
日本解放第二期工作要綱
-2.解放工作組の任務
日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
ハ.日本人民民主共和国の樹立・・○○を戦犯の首魁として処刑
(第三期工作の目標)
田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第口項、即ち
「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。
5:日出づる処の名無し
09/05/24 16:50:33 pJaJQDlM
「百人斬り競争」は、 毎日新聞記者 の創作だった!
無実の罪で処刑された向井・野田少尉の無念!「百人斬り訴訟」を闘った遺族の慟哭の手記。
汚名―B級戦犯 刑死した父よ、兄よ
URLリンク(www.amazon.co.jp)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
第1章 「百人斬り訴訟」で父たちの無念を想う(「百人斬り競争」を創作した新聞記事;
父の汚名をそそぐために;事実を語る資料を探し求めて ほか)
第2章 兄・野田毅の三度目の死(世界が凍りついた瞬間;裁判官は「明白に」被告側だった;
私たちは「明白な虚偽」を立証した ほか)
第3章 父・向井敏明の魂は大八洲に帰った(父は追憶の中に生きている;「大きな力」に屈した裁判の後で;
卑屈を排し、誇りある日本へ)
百人斬り競争 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
野田毅 (陸軍軍人) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
向井敏明 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
6:日出づる処の名無し
09/05/24 16:51:28 pJaJQDlM
中国共産党 大虐殺の歴史 そして日本侵略へ
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.youtube.com)
中国共産党による大虐殺の犠牲者の数は、「共産主義黒書」(ステファヌ・クルトワ)などの
推計に依れば6,500万人にも上るとされている。歴史上有名な大躍進や文化大革命、
天安門事件だけでなく、チベット、東トルキスタン(ウイグル)、モンゴルにおいて現在、残虐
な粛清と弾圧、歴史・伝統・文化の破壊、民族浄化・絶滅、漢民族への同化政策が行われ
ている。この恐るべき実態は日本にとって対岸の火事では済まず、やがては日本に襲いか
かる脅威である。更に、大中華圏の拡大、世界覇権の掌握は、全人類が危機に瀕すること
にも繋がる。
7:日出づる処の名無し
09/05/24 16:51:52 pJaJQDlM
共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ
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ロシア革命の世界革命化を狙ったコミンテルンと、人類史上未曾有の犠牲者を生み出し
た アジア共産主義の現実
ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は、
ソ連2000万、 ★中国6500万、 ベトナム100万、 北朝鮮200万、
カンボシア200万、東欧100万、 ラテン・アメリカ15万、アフリカ170万、
アフガニスタン150万 を数え、合計は1億人に近い。
民族・人種によるジェノサイドと イデオロギーによるジェノサイドはどこが違うのか。
なぜ、共産主義は今日まで弾劾されずにいるのか?
8:日出づる処の名無し
09/05/24 16:52:05 pJaJQDlM
共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ
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中国の章では、 魯迅が「中国人は食人種である」と書いている
と紹介し、共産主義のテロルの中で処刑では犠牲者を少しずつ切り刻み、生きながらに
その肉片を食らう醜悪な中国の文化も紹介されている。 (※凌遅刑)
ソビエトのスターリン主義者が見た毛沢東主義者の手法、として悪名高い”自己批判”、
”総括”、”粛清”の様式が紹介されている。
(※連合赤軍の山岳ベースリンチ殺人事件はこれの模倣だったと言える)
また、毛沢東の”大躍進”における誤った農業指導(過度に濃密に植える、土地に合わない
作物を栽培させる、害虫を駆除する雀を駆除する)によって恐るべき史上最大の飢饉が発
生したことも紹介されている。1959-1961年の間の餓死は2,000万人~4,300万人
であろうと推測されているという。そして
凄惨な人肉食が農村で行われていたという言い伝えが紹介されている。
9:日出づる処の名無し
09/05/24 16:52:16 pJaJQDlM
共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ
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URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
文化大革命の段では、青少年を毛沢東主義に洗脳し、
”紅衛兵”という赤いロボットにしていった歴史
も描かれている。そして彼らが恐るべき非人間性を発揮し、”反革命分子”とみなした人間
に対して残虐で下劣な暴力を振るったことが記されている。1966年前後にこのような事態
が中国では起きていたのだが、当時の日本の大学生の中にはこのようなものに憧れ、極
左テロ活動に身を投じていったというのは良く分からない事である。やはり、美化されて伝
えられた結果、実態を知らずに騙されていたのであろう。その紅衛兵も分裂し、内戦状態と
なり、果ては軍隊が投入されて紅衛兵が処刑されていったのである。なんとも救いのない
話である。
チベットでは数十万人(人口の約10%)が中国によって拘禁され、
その2%しか生存していないという恐るべき実態
や、ダライラマなどへの宗教弾圧、追放・・などなど、中国の非人道性、残虐さがここでも証
明されている。
恥知らずな中国共産党は今なおおぞましい人種差別と民族浄化を継続しているという。
10:日出づる処の名無し
09/05/24 17:16:09 QIwJVhFP
リンク資料を読んだけれど
「一人当たり120発の弾を持ってた」
「一人当たり10人殺せば可能」
って、科学的とは言わないよなぁ~(苦笑
11:日出づる処の名無し
09/05/24 17:18:44 WvS/Y3/T
米国人「南京大虐殺の際、中国軍はなぜ市民を守らなかったの?」→中国人、google検索でも資料なく回答不能
URLリンク(alfalfa.livedoor.biz)
★【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?
南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。
中国側は2―3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって虐殺されたと主張している。
このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、
中国の軍隊は何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。以下はそのブログより。
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米国人の友人と食事をした際、一つの質問を受けた。
「中国人はずっと、日本人は南京大虐殺で中国人を大量に殺害したと言っている。この大虐殺は2―3カ月もの間続いたと言っているが、
その間中国の軍人はどこにいたのか?2カ月も続いていたとすれば、どこにいても駆けつけることができたはずだ。
日本軍人はわずかに5000人だったそうだが、中国軍はなぜ南京の市民を守らなかったのか?」
以上が、米国人の友人から受けた質問だ。私はこの質問を聞いて唖然としてしまった。
私はこれまでこのような問題について考えたことが無かったし、私の周りの人間も考えたことが無かっただろう。
米国人の友人は私に「当時、共産党や国民党は一体何をしていたのか?」と尋ねてきたが、外国人たちは、これについて、
「彼らは旨いものを食っていたに違いない」と言っていた。私はこれに対して、それはあまりにも誇張された考え方だと反論したが、
確かに良い質問だと感じ、帰って調べ、後でメールすると答えた。
資料を調べて分かったのは、当時南京に侵攻した日本軍は5000人ではなく6万人であったことと、
南京にいたのは多くの売国奴であったということだった。友人からの質問は私を大いに混乱させることとなった。
また、私はGoogleで検索したのだが、何の資料も見つけることができなかった。当時、中国軍が何処で何をしていたのか、
一切の記述が無いのである。私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?
URLリンク(news.searchina.ne.jp)
12:日出づる処の名無し
09/05/24 17:31:37 FP3Oo+gt
二つも南京スレッドはいりません
どなたか削除依頼をお願いします
13:日出づる処の名無し
09/05/24 17:59:45 U7DliJ8s
確か、南京には6~10万の日本軍がいたはずだね。
笠原説は数万~十数万だから、計算上は日本軍一人につき、数発の弾丸で実行可能だな。
14:日出づる処の名無し
09/05/24 19:40:45 QIwJVhFP
軍事的に不可能な机上の空論だね、最も書いてる本人だって、不可能なのは充分承知しながら、反対意見への“嫌がらせ”として“計算上”を書いてるのだろうが。
南京虐殺問題に限らず、敗戦国であり戦争犯罪に罪悪感を持つ日本に対して、そうやって付け入るようなハラスメントを繰り返した結果が、現在の日中・日韓問題を招いたんだよ。
進歩的だのリベラルだの自称しながら、日本の罪を拡大解釈している日本人は、実は中国・韓国の対日感情を悪化させ、同時に日本側の嫌悪感を増幅させてもいる。
それは事実上の離反工作にも等しく、右翼化が指摘されて久しい現在の世論が示すように、相手国に対してもために成らない事に気づいたら?
だいたい日本軍の侵攻を食い止めるため、黄河を決壊させて、100万人を水死させ、600万人を被災させた中国軍の蛮行はどうなの?
味方にやっただけに、南京以上に悪虐な殺戮だが、呆れたことに敵たる日本軍が、民間人を救援している。
15:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/05/24 20:48:35 bHPwiFbm
戦史叢書と南京大屠殺記念館の差
結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。
この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)
以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。
防衛研修所戦史室の源流
...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。
一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。
史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、
わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、
史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。
...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、
稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。
...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
(皮肉なことに親父が65連隊だったものですから、服部氏が最後の連隊長を務めた65連隊の2万人の捕虜殺害が一番明確に事実が解明されています。)
16:核心 ◆F0BnXIzFsY
09/05/24 20:50:03 bHPwiFbm
南京陥落時に日本陸軍が城外にて7万人以上の捕虜を殺害したことは事実です。
なんと呼ぶかは勝手ですけど。
17:日出づる処の名無し
09/05/24 22:54:44 QIwJVhFP
「お互いさま」なんて呼び方はどうでしょう?
まっ自国民100万人を虐殺した、軍閥の私兵なんて、捕虜とは呼ばないでしょうし。