09/04/22 00:18:58 IZBuCGFo
戦果が南京に及んだ12月12日、多くの記者はパネー号に乗って南京を脱出した。南京に残った外国人記者は次の5人。
N・Yタイムズのダーディン、AP通信のマクダニエル、シカゴ・デイリーニュースのアーチボールドスチール、
ロイター通信とブリティッシュニュース・エージェンシーのスミス、パラマウント・ニュース映画のアーサー・メンケン。
他、ロンドン・タイムズのマクドナルド記者はパネー号が沈没した為一旦収容され17日上海に戻るが途中15日また南京に戻って取材している。
「N・Y・タイムズ」12月13~26日、米砲艦パネー号撃沈事件がビッグニュースとして連日一面トップを飾って報道される。
12月~1月にかけて、南京の様子を報道した記事は小さい1段モノまで含めて10回ある。
それらは「難民区の中に逃げていた中国軍の大佐と部下の6人が、日本軍の仕業と見せかけて悪事をはたらき捕らえられた」、
「日本兵がアメリカの所有地に入らないよう、アリソン総領事は日本大使館に抗議した」と言った類の記事。
1月28日~30日にかけて、南京で起きたアリソン総領事殴打事件が記事を賑わしている。
署名記事のうちマクダニエル記者(AP)は「私の見た死者は戦死者であった。中国兵、日本兵ともに略奪した。
日本は安全区を守り、ここには攻撃を加えなかった」と、日本軍占領下の南京の状況をレポートしている。
スチール記者(シカゴ・デイリーニュース)は「中国兵退却時の混乱と日本兵侵入時のパニック状態」を報道している。
ロンドン・タイムズの12月と13年1月の2ヶ月間の記事の見出しをリストアップすると、英国は古くから中国に進出し、
多くの権益や租界を保有している関係上関心は高く、従ってニュース量も多く1週間のうち平均2回は中国問題がトップ記事を占めている。
12月の主なニュースは上海租界、南京攻略、ソ連の選挙、パネー号事件。1月はスペイン戦争、フランスの政変といったところ。
日本軍の占領下の南京の状況については、パネー号からいったん南京に引き返した(15日―16日)マクドナルド記者が、
17日上海から打電している。その記事が18日のタイムズに載っている。要約すると、
「12日、中国兵は逃亡し始めたが、逃げる船がないと解ると混乱が始まり、安全区になだれ込み、交通部は放火された。
13日、日本軍の掃討がはじまった。数千人の中国兵が安全区に逃げ込んだ。
14日、日本軍は大通りを軒並み略奪し、外国人のものも略奪した。また中国兵とみなされる者を処刑した。
通りには死体が散在したが女性の死体はなかった。掃討は15日も続いたが街は落ち着いてきた」という記事である。
マクドナルド記者の撮ったパネー号沈没の写真は、1月4日と5日、2回にわたって大々的に掲載されているが、
南京に戻った時「街は落ち着いてきた」と述べているから撮るようなものは無かったであろう、市内の写真は一枚も載っていない。
ロンドン・タイムズの2ヶ月間にわたる記事のうち、南京に関するものはほとんどこれだけである。