09/04/19 23:35:14 kcU9W6zW
>>800続き
日本が敗れた昭和20(1945)年の12月13日は南京事件9周年に当たる。
しかるに、「わずか数軒だけが死者に供物を捧げ、故人を追慕し、また戦禍に生き延びた自分の僥倖(ぎょうこう)を願い、
涙を流して当時の悲惨な出来事を語る人はほとんどいない状態であった」と上海「大広報」(12・15)は不思議がって、次のように報じている。
「蒋介石集団《国民党と国民政府》は、日寇の罪状を調査した時、50万という見積もり数字を提出したではないか。
それが『わずか数軒』の供養とはどうしたことか」、というのである。
とんだ所で尻が割れてしまった感がある。
この50万人の見積もりというのは、次の34万人の見積もりにあとからさらに水増した数字のことである。
東京裁判に提出した数字は次の通り。
被殺害確数 34万人 焼却又は破壊家屋 4000余戸 被姦及拒姦の後殺害されたる者20人~30人《この数字に注目》 被逮捕生死不明者 184人 被殺害者たる我が同胞 27万9586名
(1)新河鎮地区 2873名(埋葬者盛世徴・昌開運証言)
(2)兵工廠及び南門外花神廟一帯 7000余名(埋葬者丙芳縁・張鴻儒証言)
(3)草鞋峡 5万7418名(被害者 魯甦証言)
(4)漢中門 2000余名(被害者伍長徳、陳永清証言)
(5)霊谷寺 3000余名(漢奸高冠吾の無主孤魂碑及碑文により実証)
(6)其他崇善堂及紅卍字会の手により埋葬せる屍体合計 15万5300余
(以上「極東国際軍事裁判(東京裁判)速記録」58号、昭和21・8・29)
〈注〉・(1)~(6)のトータルは22万7591名で、27万9586名にはならない。この数字と、初めの被殺害確数34万人との関係は不明である。
いかにでたらめで、ずさんなものか。強姦及び強姦後殺害20~30人が、東京裁判の判決では2万件と約千倍に膨張している。
(6)の埋葬内訳は次の通り。
◇紅卍字会による埋葬死体 4万3071 ◇崇善堂による埋葬死体 11万2261 合計 15万5332
ここで筆者が問題にするのは、15万5千余の埋葬死体数である。
両者とも、埋葬場所、月日、男女の別、死体発見場所等詳細な一覧表が付されている。
ただしこれは戦後の作文である。
しかし、この統計表がどれほど決定的な証拠能力を持っていたかは、東京裁判の判決文を見れば一目瞭然である。