09/04/18 15:22:11 fLHdtYNP
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斬首であれば死を確実にできます。
小野賢二氏の諸論文を読んで私も分かったことですから。
魚雷営の捕虜の処分は試験的、予備的なものとして行なわれたそうです。
その魚雷営の1日目が下関での中国兵斬首なのです。
だから、1日目は疲れて(つまり人手で銃弾も使用せずに殺害しようとしたので)、翌日からは重機関銃による十字砲火での殺害となったのです。
65連隊が合計2万人、下関で2千人、魚雷営の残り2日で5千人、大湾子で1万3千5百人、当時公表された捕虜の数と一致するのです。
「両角大佐手記」を見れば分かりますが、実に意図的に捕虜殺害の概要が捏造、歪曲されているのです。
板倉も本来なら捏造した、自分の仲間でもある平林氏にでも尋ねればよかったのでしょうが、平林は現場にいないので知りません。
そこで板倉は一度も家に来たこともないのに、本多氏より前に来たとうそをいってまで親父の証言を使ったのです。