09/04/18 13:09:20 fLHdtYNP
「南京大虐殺研究札記」の小俣行男氏の記事の元本の「侵掠」(1982年、現代史出版会、徳間書店)を読んだところです。
捕虜も全部で10万人くらいいるらしい。
最初に入城した部隊が、「この捕虜をどうするか」と軍司令部に聞いたら、「適当に処分しろ」という話だった。...
そこで、揚子江岸の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。
最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を前に投げ込ませて、それから前と同じように一列にならべて処刑した。
こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。...
二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。
捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...
揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”
(これは65連隊の下関の大桟橋での中国兵処分の証言です。
これに対応する日本側の証言は父の証言だけです。)