09/04/18 03:22:01 DzwiMLjS
-南京安全地帯国際委員会公式文書-
・昭和12年12月13日 国際委員会第16号文書
「日本軍入城の際、安全区内に一般市民のほとんどが集まっており、其数、20万人。」
米副領事のエスピーの本国への報告、またラーベ委員長のドイツ大使館への報告にも「南京の人口は20万人」と報告されている。
・昭和13年1月7日 国際委員会第17号文書
「刻一刻と難民が急増している。」
・昭和13年1月19日、国際委員会第24号文書
「難民が5万人も膨れ上がって、最終的な人口は20万から25万人となった。」
攻略後、わずか一ヶ月足らずのうちに人口が25万~30万人に。(昭和13年1月14日)5万~10万人以上も増えている。
南京が安全だという確実な情報が無い限りこれだけの人口増はありえない。
30万人の大虐殺はおろか、4万人位の中虐殺、6千人位の小虐殺もありえない。
何故なら、たとえ百人単位でも虐殺があったなら、そんな危険な場所に人が集まる筈がないから。
これは、南京の治安が急速に回復し、近隣に避難していた市民が帰還し始めた証拠。