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韓国の底力:危機を経験するたびに成長する大韓民国 記事入力 : 2009/01/03 17:01:51
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1990年代の終わりごろ、米国市場で現代自動車は四面楚歌の状況に陥っていた。在庫が増え、ディーラー網は崩壊していった。
現代というブランドは安物の代名詞だった。「わたしの時計はあなたの現代車よりも高いんだよ」というようなジョークがテレビのトークショーで流行するほどだった。
現代自韓国本社は通貨危機の後遺症にあえいでいた。
危機のさなかに最後のカードが切られた。それは「10年間10万マイル無償保証」だった。競合メーカーの保証期間が「3年間3万マイル」だったことを考えると
無謀な賭けにも見えた。しかし、現代自の従業員は背水の陣を敷いた。10万マイル保証を裏付けなければ会社は滅ぶしかなかった。
ところが信じられないことが起きた。それまで難関だった「品質の壁」を突破することに成功したのだ。現在、現代自のさまざまな経営指標は世界でもトップクラスだ。
負債比率、営業利益率では、業界で世界最強とされるトヨタ自動車をも上回る。危機を経験しなければ、現代自はまだ安物メーカーにとどまっていたはずだ。
韓国経済は危機に強い。危機のたびに新たに成長し、一段階アップグレードする。韓国がサムスン電子、LG電子、ポスコ、現代重工業、SKテレコムなどの
グローバル企業群を擁するようになったのも通貨危機のおかげだった。危機の中で企業は古いものを捨て、新たに変身した。韓国経済にとって通貨危機はのろいではなく「祝福」だった。
2000年8月4日、ミャンマーの首都ヤンゴンのトレーダーズ・ホテル大会議室で契約書に署名した大宇(現大宇インターナショナル)のイム・チェムン理事(現副社長)の
手は震えていた。ミャンマー西海岸のガス田鉱区の独占探査権を手にした瞬間だった。しかし、喜びよりは緊張感のほうが上回っていた。
大宇は当時、存亡の岐路に立っていた。通貨危機の影響でグループ全体がワークアウト(企業改善作業)の対象となっており、資金難に苦しんでいた。
数百億ウォンが必要な探査に失敗すれば、会社が傾く恐れもあった。
大宇に与えられた試掘のチャンスは事実上1回だけだった。済州島ほどの面積の海域に直径1メートルの試掘井を掘り、たった1回でガス田を発見しなければならなかった。
海底3200メートルまで試掘井1本を掘るのに1500万ドル(現在のレートで約13億6000万円)がかかった。1回失敗すれば終わりだった。
しかし、目の前にあるチャンスをあきらめるわけにはいかなかった。悩んだ末にゴーサインが下された。
それから3年5カ月後、2004年1月7日にソウル本社のイム理事にミャンマーから国際電話がかかってきた。「(ガス層を)確認しました」という知らせだった。
3年間にわたり内心はらはらだった林理事が初めて歓声を上げたのはその時だった。ガス田では韓国国民の3年分の需要量に相当するガスが発見され、
大宇インターナショナルも再建の足がかりをつかんだ。
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